ベートーベン 生誕250年

2020年7月5日(日曜日)

父の日にページオープナー(楽譜が閉じないようにする金具)とエコバッグ(楽譜用??)をいただきました。エコバックのデザインはベートーベンの横顔でその周囲にはベートーベン250回目の誕生日と書かれていました。その時初めて今年がベートーベンの生誕250年ということに気づきました。すでに半年が経ってしまっておりました。私の大学生時代、1977年がベートーベンの死後150年目に当たっていました。その時はもっとそのことが注目されていたように思いますが、今年になって半年間、私は生誕250年の放送、記事、広告、話題その他に触れることはありませんでした。これは私が音楽の世界から離れてしまったと言うことなのか、クラシック音楽が社会の中で存在が小さくなってしまったということなのか、もしかしたらその両方かも知れません。とても寂しかったり、申し訳なく思ったりしました。

その罪滅ぼしというわけではありませんが、とても偉大なベートーベンなのですが、その中でも以前からこれはすごい、どうしてこうなるのかわからない、こんなことを考えつくのは天才と思っていた箇所について少しお書きしようと思います。(このほかにも弦楽四重奏曲第6番作品18−6第3楽章も凄いのですが、これについてはまた改めてお書きしたいと思います。)なにぶん、素人ですのでご専門の方から見たら見当はずれかも知れませんが、ご容赦ください。また、この部分についてご教授してくださる方がいらっしゃれば大歓迎です。

上の楽譜はレオノーレ序曲第3番の終結部(コーダ)への導入部分の第一バイオリンのパート譜です。基本の拍子は2分の2拍子、1小節に2分音符が2つですから、8分音符であれば1小節に8つということになります。第一バイオリンから始まり、6つの8分音符の下降音型で始まりますが、ちょうど楽譜1段目の最後から8分音符7つの下降音型に変わり、上から2段目の4小節目、cresc.(クレッシェンド)から7拍の上行音型に変わり、楽譜3段目2小節目の最後から拍子どおりの8つの8分音符の上行音型となり、最後8分音符3つのアウフタクト+8部音符8つの音型(本当はどう数えるのかはよくわかりませんが、)で楽譜5段目のコーダに突入します。

この間に第一バイオリン単独(楽譜にはバイオリン2−3挺でと書いてあります)から始まった音楽に、下降音型から上行音型になった部分から第二バイオリンが加わり、さらに8分音符8つの音形になった部分からビオラが加わり、その後半からはチェロ、コントラバスが加わり弦楽器のTutti(総奏)となって、音楽は盛り上がりその勢いで楽譜5段目コーダに突入します。

この部分を聞いていると、初めの8分音符6つの下降音型のところはついて行けるのですが、8分音符7つの下降音型のところでリズムを見失い、でも音楽のエネルギーはどんどん増してゆき、最後に8分音符8つのところで迷い道から抜け出た様な安心感、解放感を感じつつ、オーケストラ、観客が一体となり、エネルギー最大限の状態でコーダに飛び込むことができます。

なかなかわかりずらい文章になってしまいましたが、百聞は一見に如かず、百聞は一聴に如かずで動画をご覧いただくのがよろしいと思います。

下の動画はギューター・バントの演奏ですが、指揮は小節の頭を振っていますので小節の頭と音型の関係が比較的わかりやすいと思います。12分30秒から上の楽譜の冒頭Prestoが始まります。

次は1977年3月2日、ちょうどベートーベン 死後150年の年のカール・ベーム、ウィーン・フィルの来日公演のライブです。このムービーでは12分48秒からPrestoが始まります。実はこのコーダに入る前の12分40秒の部分でベームの棒がわかりにくく、オーケスストラの一部が1拍早く出てしまっています。プロでもこんなことがあるんだなと思いますが、そのためにウィーン・フィルに気合が入り、迫力のあるコーダになったとも言われています。

ベートーベン大先生、本当に失礼をして申し訳ありませんでした。

コロナ時代のボレロ

2020年4月29日(水曜日)

皆様、新型コロナウイルス流行で不安な日々を送っていらっしゃることと思います。

今日は昭和の日の休日で私はゆっくり自宅で過ごしております。

お掃除をして一休み、TVをつけるとどれもワイドショーばかり、平日の番組は私の趣味には合わないので、YouTubeを見ることにしました。さてどれにしようかと探しているとクラシック音楽のリストの中にTV会議のようなスクリーンショットがありました。これは面白そうということで見ることにしました。

この動画はコロナの最大の流行地帯ニューヨークからニューヨークフィルハーモニックのメンバーによるラベルのボレロでした。

各メンバーはそれぞれ自宅で、オンライン会議のように自分のパートを演奏し、それを集合させてオーケストラ曲が成り立つようになっています。

ボレロは小太鼓のボレロのリズムから始まり、そのリズムの上に乗って、同じメロディーをそれぞれの楽器がソロで演奏してゆくという曲です。音楽の3要素、リズム、メロディー、音色のうちのリズム、メロディーの2要素を変えず、音色の要素だけを変えることで曲が成り立つかを試した実験的な曲であると作曲者自身が言ったという話もあります。

この演奏ではそれぞれの楽器のソロを半分ずつにして短縮版になっています。ただ、それぞれの楽器の聴きどころはきちんと押さえてあるので、弦楽器の合奏に移る前の管楽器の合奏の部分以外はオリジナルを聞くのとほぼ同じようになっています。

映像は音楽の構造を示すように小太鼓の画面が背景になり、それぞれの奏者の画面が配置されています。各奏者の普段着であったり、住んでいる部屋だったりが見えてとても興味深いです。特に左下チェロ奏者の後ろに床から天井まで本が1列に積み重ねてあったり、結構左利きの弦楽器奏者がいたり(画面が反転しているのでしょうか??)、屋上で演奏しているホルン奏者の足元の道路は人が一人も歩いていなかったり、私としては見どころ満載でした。

このほかにも同じような作りのリヒャルト シュトラウス「ツァラツストラはかく語りき」モーツァルト「フィガロの結婚」チャイコフスキー くるみ割り人形から「花のワルツ」マーラー「交響曲第3番終楽章」エルガー「エニグマ変奏曲からNimrod」グリーグ「ホルベルアの時代から」マーラー「交響曲第5番アダージェット」などなどむしろこのような状況でなければ見ることができなかった動画が数多くあります。また、このような作りにすることにより、通常のオーケストラのまとまった演奏よりもそれぞれの楽器ごとに画面が分かれていること及び音声も分かれていることからそれぞれのパートをはっきりと聞き取りやすいというメリットもあるように思います。

家の中にいるのに退屈している方も多いと聞きますが、家の中、探せば楽しいこと、有意義なことがたくさんあります。連休に外出したいという気持ちもわかりますが、どうぞ屋内の楽しみを探してご自宅で過ごされますように。

最後になりますが、皆様のご健康をお祈りいたします。

追伸 現在ではYouTube内に同じ様な動画のまとめが作られています。下のリンクから行けます。

新型コロナウイルス流行に思う

2020年4月12日(日曜日)

昨年末から武漢で始まった新型コロナウイルス(COVID-19)の流行が日本でついに爆発の瀬戸際というところまで来ました。これまで60数年生きてきて、初めてサバイバルという言葉が現実のものとなりました。そのような非常事態にあたり、私たち開業医も感染もやむなしとして日常診療にあたっておりますが、基幹病院で直接このウイルス感染患者の管理に当たられている医師、看護師、コメディカルの方々の決死の日々の奮闘に対し、また、クラスター対策班をはじめとする行政の方々の流行封じ込めのための昼夜を分たぬ奮闘に対し、心からの賞賛を送りたいと思います。

日頃、経済、経済と経済系の方々が幅をきかせていますが、このような事態になってみると、なんと言っても経済は平和、健康の上に成り立ち、平和、健康こそが全ての人類の営みのインフラだということがよくわかったと思います。経済界も人命よりも経済優先という立場から人命優先、早期感染収束を目指す立場に転換していただきたいと思います。そうすることによって経済的打撃も最小限にすることができるのではないでしょうか。

このウイルスに対して欧米の首脳が戦争という言葉を使っていますが、医療崩壊、経済崩壊の危機に瀕し、まさに国民一人一人が全力で総力戦で立ち向かわなければならない事態と言えます。

政府がなかなか緊急事態宣言を出せず、いわんや営業停止命令、ロックダウンなど感染拡大防止に手を拱いている中、緊急事態宣言、強い危機感を表明した北海道や大阪などの地方自治体の首長、また、軽症者の受け入れを表明したアパホテル社長、政府に先駆けて自主的休業を選んだデパート、小規模店舗さらにはパチンコチェーンのトップ等、医療崩壊に対する協力、感染拡大防止策を国ではなく地方自治体、民間が積極的に行っている事態はとても日本的な光景のように思います。かつての第二次世界大戦でアメリカに「(日本は)兵隊や下士官は一流だが、将校は凡庸で、特に上に行くほど愚鈍である」と言われたそのままの図式のように思われます。

政治家の仕事としてマスクを配ることも大切だとは思いますが、むしろ感染拡大をいかに防ぎ、救える命をいかに救うか、そのために政治家として何ができるのか、マスクよりもさらに重要ことがたくさんあると思います。感染拡大防止のために休業命令、ロックダウンを含む人の移動の制限を適切な時期に行い、それに対する経済的支援をどうするのか、不足しつつあるあるいは既に不足している、医療現場の病床、人員、医療機器、資材にどう対応するのか、現在、ウイルス対策の頭脳であるクラスター対策班の疲労困憊をどう支援するのか、クラスター対策班の考え、思いを一般国民にいかに広く深く伝えるのか、そういったこと全ての権限を持ちそれができるのが政治家だと思います。しかし、これまで政治家の語った言葉にはこういったことに対する熱い思いを感じることはできません。むしろ、4月10日に自動車工業4団体を代表して豊田章男氏が会見で述べた日本の就労者の1割を担う産業の代表としてこの事態の歯止めになるという決意は私の心を打ちました。(https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1246407.html

ウイルスは人から人に伝播して行きます。ほとんどの人が自分は人から感染をもらう被害者という感覚だと思います。しかしその一方で自分がウイルスを次の人にうつす感染拡大の加害者であるかもしれません。そのことを心に留め、一人一人が行動を一つ一つよく考えて、自分のできることをきちんと行い、この未曾有の事態を最小限の被害に留めて乗り切りたいと思います。

ハマスホイの絵画

2020年2月24日月曜日

今日は朝から東京都美術館で開催されている美術展、「ハマスホイとデンマーク絵画」に行ってきました。

2年ほど前、国立西洋美術館に行った時に、常設展に展示されている《ピアノを弾く妻イーダのいる室内》(上の絵)を見て、とても心惹かれたのですが、その後は特に触れ合うこともなく、そのままになっていました。今回、「ハマスホイとデンマーク絵画」ということでハマスホイをまとめて見られるチャンスを得ました。

ヴィルヘルム・ハマスホイ(ハンマースホイと記載される場合もあります)は1864年に生まれ、1916年に亡くなっていますから、ちょうど明治になる直前に生まれ、明治が終わって間も無く亡くなったということになります。

上の絵をご覧いただいてお分かりと思いますが、女性がピアノを弾いているにもかかわらず、とにかく無音の世界、『静謐』という言葉がぴったり当てはまります。

この絵もそうですが、彼の絵画に登場する人物の多くは背を向けており、稀にこちらを向いている人物も無表情で感情を読み取ることができません。

また、色彩も色数は限られ、色調も抑えられています。

一見したところはフェルメールとも似ているのですが、フェルメールよりさらに光は少なく、また、フェルメールの絵は見るものにその絵の背面に潜むドラマを感じさせますが、ハマスホイの絵はドラマ性を排除しているという違いがあるように思います。ただ、それはかつてはそこにドラマがあった、あるいはこれからドラマが起こるということなのかも知れません。

とにかく私にとっては1枚の絵をいつまでも心地よく眺めていられるそういう絵でした。

今日は美術館を訪れた時間も開館間もなくで、かなり空いていて、作品と静かに1対1で向き合うことができ、とても良い時間を持つことができました。

シリコンバレー狂騒曲

2020年1月12日日曜日

ハードディスクに録画しておいた番組を整理しようと、未視聴のままになっていた「シリコンバレー狂騒曲」というナショナルジオグラフィック(TV)の番組を見ました。さほど期待はしていなかたのですが、インターネットの草創期を描いた実話に基づくドラマで、そう言えばこういうことがあったなと私自身の記憶が蘇り、ハマって見てしまいました。

以下、ネタバレになりますが、ある程度大まかな流れがわかっていた方がかえって面白いかもしれません。

この物語は一言で言えば、インターネットが世の中に知られ始めた頃のウェッブブラウザ、動画配信、SNSの3つの分野のそれぞれの草分けである、Netscape社、Pixelon社、theglobe.comの成功とその後の顛末を実話に基づいて描いています。この三社についてはこのドラマの予告編にあるキャッチコピー「Googleの前にNetscapeがあった、YouTubeの前にPixelonがあった、Facebookの前にtheglobe.comがあった」という言葉がとても分かりやすいと思います。内容は1990年代半ば当時の再現ドラマだけでなく、登場人物を含めたその当時の関係者へのインタビューとを融合させることにより、その当時が実際どうだったのか説得力のある出来上がりになっています。

私がコンピュータに興味を持った頃、おそらく1980年代後半から1990年代前半だと思いますが、まだパソコン通信という言葉で表されるように、まだWorld Wide Webがなく、一行ずつ文字で入力してゆくラインエディタのようなもので、やり取りするオンラインサービスしかなく、私はGeneral ElectricによるGEnie (General Electric Network for Information Exchange) というサービスに加入していました。その当時がどんな風だったかは以下の画像がわかりやすいと思います。

https://en.wikipedia.org/wiki/GEnieから引用

その後、World Wide Webの時代になり、Netscape社からNetscape Navigator(以下NNと略します)が発売されました。それまでのラインエディタの文字の羅列によるオンラインの操作から、現在私達が行っているようなGraphical User Interfaceの、コンピュータ上の操作もオンラインの操作も全く同じ感覚で行うことができるようになりました。私も早速NNを買い求めインターネットの世界に入ってゆきました。NNはまさにインターネットの世界へのナビゲーターだったわけです。このようにしてNetscape社は大成功を収めるわけですが、その成功を知ったMicrosoft社は対抗してInternet Explorer(以下IEと略します)を開発します。こうしてNetscape社とMicrosoft社のブラウザ戦争が始まりました。

1996年当時、NNはウェッブブラウザのシェアの80%を占め、(一方IEは10%のシェア)、機能的にもIEを凌駕していました。(作品中の元Microsoft社のブラウザ開発者もインタビューでそれを認めています。)このような状況を会社にとっての脅威と感じたMicrosoft社は自社のOS市場の独占状態を利用して、IEを無料にしたり、OSに抱き合わせて販売をしたり、また、会社の規模の違い、資金力を利用してNetscape社の周囲の会社に圧力をかけNetscape社との関係を妨害したり、Netscape社に様々な嫌がらせをしてシェアの巻き返しを図るわけです。それに対し、Netscape社は司法省に対しMicrosoft社の抱き合わせ販売が独占禁止法違反であるとして提訴をします。この提訴はNetscape社の言い分が認められ、Microsoft社の独禁法違反が認められるのですが、その判断が出るまでにあまりに時間がかかったため、ブラウザー戦争としてはNetscape社が負けてしまうわけです。(ただ、司法省のこの判断がなければ、現在のGoogle, Facebookは潰されて生き残れなかっただろうとNetscape社の元幹部ジェームス・バークデールは言っています。)

この辺りの話については私はリアルタイムに見聞きしておりましたが、改めてこの作品を見て私のMicrosoft社嫌いの一つの理由であることを改めて思い出しました。この他にもプレゼンテーションソフトにおけるAldus社のPersuasion、スプレッドシートにおけるAshton-Tate社のFull Impactなどの優れたソフトウエアがMicrosoft社の出来の悪い(健康食品のCMではありませんが、これは私個人の感想です)Power PointやExcelのシェアに負けて、消えていったことは私にとってはとても悲しい記憶です。またシェアのみで商品を選択するユーザーの行動にある種憤りを覚えたりもしていたことも思い出しました。

主にNetscape社を巡る部分について書いてきましたが、Pixelon社、theglobe.comの部分もとても面白く、インターネット草創期に立ち会えなかった若い方々にも是非ご覧頂き、インターネット草創期の時代より早すぎたコンピュータフリークス達の様々な思いを感じていただければと思います。

骨髄バンクコンサート@求道会館

2019/12/22 日曜日

本郷に求道会館という建物があります。とても素晴らしい建築なのですが、所有者、建物の目的がどういうものなのか分からずずっと気になっていました。11月の日曜日に散歩中求道会館に差しかかると、いつもは人気がないのですが、珍しくその前に人だかりがあり、覗いてみると、その日の午後、骨髄バンクを支援するためのチャリティーコンサートがあるとの事。コンサートと建物見学とチャリティーと一石三鳥という事で昼ごはんも早々に済ませ、午後からのコンサートに出かけました。

入場券を買って、中に入ると床は板張りで、木のベンチが左右2列に並んでいて、正面には6角形のお堂があり、菩薩像が安置してあります。二階は回廊のように建物の外壁をめぐっています。

六角堂前にフロアと同レベルでピアノとバイオリン、チェロの席が設置してありました。バイオリン奏者の席の真前、最前列左側の列の一番中央が空いていたため、迷わず、その席を占めました。

( 求道会館については以下のリンクが詳しいので参考にしてください。http://massneko.hatenablog.com/entry/2015/11/10/000000

演奏会のプログラムはドビュッシー、モーツアルト、ドボルザーク各々のピアノ3重奏曲という構成でした。

1曲目のドビュッシーのピアノ三重奏曲は作曲者17歳の時の若書きの曲で、僕は初めて聴きましたが、フランスの香り漂う優美な曲でした。

3曲目のドボルザークのピアノ三重奏曲第3番も初めて聴きました。ドボルザークは新世界交響曲、チェロ協奏曲、弦楽セレナード、スラブ舞曲などを聞いておりましたが、民族色が強く、あまり私の好みではないと思っていましたので、それ以上に他の曲を探して聞くということはしておりませんでした。今回もそれほど期待しておりませんでした。しかし、曲が始まると、民族色などというものではなく、ブラームスを思わせるドイツ風の重厚な曲で、次第に曲、演奏のテンションがどんどん高くなり、演奏者、会場がどんどん熱くなってゆきました。本当に感動しました。ドボルザークさん、これまで甘く見ていて本当にごめんなさいという感じでした。

初めにも触れましたが、バイオリン奏者の真前の席で、バイオリンの楽譜の見開きの右のページがとてもよく見え、楽譜を見ながら、自分で半ば弾いているような感じで曲が聞け、本当に充実したコンサート体験でした。

ドビュッシーのトリオの演奏です。スコアが見られます。

ドボルザークのピアノ三重奏曲第3番の演奏です。

週刊文春の表紙あるいは和田誠氏のイラスト

2019年12月11日

クリニックで待合室の雑誌として週刊文春を置くようにしております。その1冊の表紙がアブストラクトの絵画のようですが、何か心に引っかかりました。(それが上の絵です。)

よく見ていただくと黄色い線の中にはFREMONT STREETなど、どうも通りの名前と思われる文字が書かれています。もっとよく見ると真ん中の白い図形の中にO.K. CORRALと書いてあります。

OK牧場と気が付いていただけましたか?

もっとよく見るとDoc HollidayとかWyatt Earpとか小さく書いてあり、映画「OK牧場の決闘」の舞台や登場人物の配置のイラストであることがわかると思います。

OK牧場がこんな形をしていたということに初めちょっとびっくりしました。もっともcorralは牧場と訳されていますが、英語の辞書では「牛や馬を一時的に入れる柵がこい」とのことなのでこの形であったり、周囲の店々の間に存在することが納得いきます。現在で言えば駐車場のようなものなのでしょうね。

各登場人物がこんな風に配置されていたこと、牧場に隣接する店々の名前など、細かく見て行くうちにこのイラストの仕組みが分かってきて、とても楽しくなりました。

そこで、映画のロケーション、人物の配置図が何でこんなに楽しいのかちょっと考えて見ました。

皆さんも鉄道模型とかジオラマに心惹かれた経験があるのではないでしょうか?私の結論としてはジオラマを2次元化し、その中の各パーツを抽象化するとこのイラストになるのではないかと考えました。

江戸切り絵図を見て昔の江戸の姿を想像したり、サザエさんの家の構造から磯野家の様子を想像したり、小津安二郎の東京物語に登場する家の構造を考えて登場人物がどのように生活しているかを考える本が色々出版されていたと思いますが、それら全てがジオラマのもつ楽しみに共通する楽しみであると思います。

ローマ教皇 長崎 爆心地公園でのスピーチ

2019年11月24日(日曜日)

ローマ教皇フランシスコが来日されました。以下、スピーチを引用しますが、オバマ前大統領のノーベル平和賞受賞時のこれが本当に平和賞をもらった人のスピーチなのかと思ってしまうような酷いスピーチとは比較になりません。とにかくこのスピーチを一読していただくようにほぼ全て引用のようなこの文章を書きました。

(以下 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189341000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001 より引用)

ローマ教皇庁が発表したフランシスコ教皇のスピーチ全文は以下のとおりです。

教皇の日本司牧訪問
教皇のスピーチ
核兵器についてのメッセージ
長崎・爆心地公園
2019年11月24日

愛する兄弟姉妹の皆さん。

この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。

人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。

核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。

今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。

カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。

こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。

心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに愛を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもっと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。

降圧薬は「就寝前」に服薬すべき?

2019年11月10日 月曜日

高血圧の方を拝見する場合に、出来る限りご自分でご家庭で朝と晩に血圧を測定していただくようにしております。そうすると、大抵の方は朝が高く、夜が低いと言うパターンになります。特に飲酒をしている方ではその傾向が著しいと思います。その場合に朝の血圧を抑えるために、就寝前に降圧薬を服用していただくことをしております。

今回、降圧薬は起床後ではなく、就寝時に服用するとよいかもしれないという研究結果が、ビーゴ大学(スペイン)アトランティック研究センターのRamón Hermida氏らによって発表されました。降圧薬を就寝時に服用すると、特に夜間の血圧が低下し、起床後の服用に比べて心筋梗塞脳卒中心不全の発症リスクやこれらの心血管疾患(CVD)で死亡するリスクがほぼ半減すると報告されました。

https://academic.oup.com/eurheartj/advance-article/doi/10.1093/eurheartj/ehz754/5602478

 この臨床試験は、「Hygia Chronotherapy Trial」と呼ばれ、2008年から2018年にかけて、スペイン北部在住の18歳以上の高血圧患者1万9,084人、平均年齢60.5歳を平均6.3年間追跡し、全ての降圧薬を朝内服する群と、就寝前に内服する群に2分割しました。そして、それぞれの群での心血管疾患の発症、死亡を比較しました。

上の図が結論のグラフで、降圧薬を就寝前に内服することにより、朝内服よりも様々な疾患の危険が半分近くに減少していることを示しています。

これまで私達が自分の経験に基づいて行っていた治療法の正しさが裏付けられた結果だと思います。

ホームページを一新しました

2019年11月10日 月曜日

今回、私のパソコンのOSがバージョンアップされ、これまでホームページ作成に使っていたiWebが使えなくなってしまいました。そのため、急遽、WordPressにホームページを移植することになりました。

いろいろとドメインの移管など面倒な手続きがありましたが、なんとか無事に移植が完了し、今、こうしてご覧いただいているようなホームページになりました。

iWebはスマホには対応していなかったのですが、今回のWordPressではPC用に作成しても、自動的にスマホ用に要素を再配置してくれますので、スマホで見やすいホームページになったと思います。

これを機に、しばらくお休みしてたブログの更新もまた、コツコツとして行こうかなと考えております。

どうぞよろしくお願いいたします。