ロシュフォールの恋人たち

2013年9月23日月曜日

 「ロシュフォールの恋人たち」は「シェルブールの雨傘」と対になる1967年に制作されたジャック・ドゥミ、ミシェル・ルグランのコンビによる傑作とされています.何故かこれまでなかなか見る機会がありませんでしたが、今回、連休を利用して、初めて見る事ができました.結論は予想を超える素晴らしい作品でした.

 まず、序曲風の音楽をバックにロシュフォールでの年に一度のお祭りにあわせて当地に乗り込むジョージ・チャキリスを初めとする芸人一行の姿が映し出され、そしてロシュフォールの町の中心の広場に到着し、「キャラバン隊の到着」の音楽にのって一行の踊るシーンがあり、そしてそのまま広場に面して開かれた窓から部屋の中に滑らかにカメラが入り込み、子供たちにバレーを教えるカトリーヌ・ドヌーヴの姿が映し出され、じきにレッスンが終わり、ドヌーヴとフランソワーズ・ドルレアックによる「デルフィーヌとソランジュ姉妹の歌」と一気にこの映画の作り出す世界に引き込まれます.このオープニングはYouTubeで見ることができます.

 この映画の素晴らしい点は数多くありますが、主役のカトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・ドルレアックの姉妹を始め,旅芸人のジョージ・チャキリス(ウェストサイドストーリーなど)、楽器店の店主役のミシェル・ピッコリ(これまで見た出演作は悪役ばかりでしたが,今回の役はとても一途でとてもいい人です)、アメリカの作曲家の役のジーン・ケリー(ご存知「雨に唄えば」その他数々のミュージカルに出演)、姉妹の母のダニエル・ダリュー(「うたかたの恋」など)、水兵で画家のジャック・ペラン(「ニューシネマパラダイス」のトトの中年になってからの役など)など素晴らしい俳優が揃っている点です.

 次に、音楽はもちろんミシェル・ルグランの絶頂期の作で悪いはずがありません.次から次に素晴らしい曲が流れます.

 衣装、美術も素晴らしく、基調になるのはパステルカラーの明るい色彩です.姉妹の服、帽子の色、ジーン・ケリーのポロシャツとジャケットの色などフランスならではのセンスだと思います.

 プロットも大変うまく出来ていて,すれ違いあり、10年間の別離の後の再会もあり、偶然の出会いもあり、見ていてハラハラさせられますが,最後に急転直下、縺れた糸が解けるようにそれぞれのカップルが落ち着くところに落ち着きます.

 また、姉妹のお爺さんの友人役のアンリ・クレミューがいい味を出していますが,皆さんをちょっと驚かせるかもしれません.

 というような訳で、どこをとっても見所満載で、個人的にはミュージカル映画のベストの1つと言っても良い傑作だと思います.

バート・バカラック アルフィー

2013年8月25日日曜日

 私が子供の頃、ある日、TVを見ていておそらくアメリカのショー番組だと思いますが,スティーヴィー・ワンダーがアルフィーという歌を歌っていました.その歌が心に残り、スティーヴィーのレコードを探しましたが,アルフィーを見つける事は出来ませんでした.そして、アルフィーは次第に記憶から薄れて行きました.

 今日、チェロアンサンブル008というチェロ8台のグループの演奏会に行きました.たまたま、知り合いから「コンサートのチケットがあるけど、行く?」と言われ,チケットを頂き,行くことになりました.

 演奏会は前半はクラシックの曲のチェロ合奏編曲もの、後半はポピュラーのチェロ合奏編曲ものという構成でした.

 前半のプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、リムスキー・コルサコフの「シェエラザード」、ムソルグスキー「展覧会の絵」はいずれもオーケストラの曲ですが,とても素晴らしい編曲でチェロ8本の統一性のある音色の良さを生かしつつ、オーケトラでのそれぞれの楽器の色彩感、迫力、盛り上がりをうまく表現した演奏で、大変感動しました.

 プログラムは後半になり、「ルパン三世」、「上を向いて歩こう」と素晴らしい編曲で大変楽しく聞いておりました.

 次の曲がなんと、子供の頃に1回聞いたきりそのままになっていた「アルフィー」でした.演奏が始まる前にリーダーの方からこの曲がバート・バカラックの曲である事、バカラックのことはある年齢以上でないと知らないであろう、自身もバカラックのことは知らず、編曲者からこの曲を薦められ,作曲者が84歳の時のピアノ弾き語りの映像を見てとてもいい曲だと思ったなどというお話がありました.いよいよ演奏が始まり、メロディーが聞こえてくると、40数年前の子供の頃の記憶が蘇り、その時の感動そのままの素晴らしいメロディー、素晴らしい演奏で思わず涙腺が熱くなるのを感じました.

 アルフィーの後も素晴らしい演奏が続き、楽しいアンコールまであって演奏会は終わりました.

 家に帰り、グループのリーダーの方が話されていたバカラック84歳の自作自演の映像を見ようと思い,YouTubeで探し出しました。

こちらはもっと若い時の弾き語りですが、歌詞の訳が字幕で出ます 。

その素晴らしい歌に再び感動し,子供たちに今日はこの曲を40数年ぶりに聞いてとても良かった事、その時はスティーヴィー・ワンダーが歌っていたけれどなどと話していると、別なノートパソコンを見ていた長男がスティーヴィー・ワンダーの演奏があるよと言うではないですか.

それを聞いたら、まさに、メロディー、歌声、ハーモニカの音までも40数年前に聞いた時と全く重なり合い、再び涙腺が熱くなってしまいました.

 という訳で、「アルフィー」ですが、今日のチェロアンサンブル008の方々の演奏も素晴らしかったし、バカラックの自作自演も素晴らしいし、スティーヴィー・ワンダーの歌もとても素晴らしく、いずれも甲乙付け難い名演奏で、今日は本当に幸せな一日でした.

 追伸

この曲は元々1966年の映画 Alfie のために書かれました。しかし、映画会社の意向で本編の中ではなく、エンドクレジットで使われることになり、当初この曲を歌っていたCilla BlackではなくCherが歌うことになりました。

しかし、この曲をはじめに歌い、実際にヒットしたのはCilla Blackによるものです。彼女の歌は、とても感情のこもった歌唱で感動的です.お勧めします.

最後にバカラックお気に入りのDionne Warwickによるもの。ちなみに後ろに写っているのは映画のAlfie役Micheal Caineの写真です。YouTubeにはDionne WarwickのAlfieのいろいろなバージョンがアップされていますが、私のチョイスはこれでした。Dionne Warwickの中での聴き比べも楽しいです。

ジーン・ピュアリング

2013年3月10日日曜日

 皆さんはジーン・ピュアリングという人をご存知でしょうか?

 今回は3月に生まれ,3月に亡くなった編曲者で歌手のジーン・ピュアリングと彼の代表的なグループ、シンガーズ・アンリミテッドを取り上げたいともいます.

 まず、Wikipediaのジーン・ピュアリングの項目をそのまま引用します.

 1929年、アメリカウィスコンシン州ミルウォーキーの音楽好きな家庭に生まれ、独学で音楽を学び17歳よりプロとしての活動を開始。1953年に男性コーラスグループのハイ・ローズを結成しリーダーを努める。ハイ・ローズ解散後の1967年、シカゴでシンガーズ・アンリミテッドを結成し活動。1982年には、マンハッタン・トランスファーにより演奏された楽曲”A Nightingale Sang in Berkeley Square”のアレンジに対してグラミー賞Best Vocal Arrangement for Two or More Voices部門を受賞。そのアレンジは、演奏に極めて高い技術を要求するが、その音楽的質の高さから、ヴォーカルアレンジの一つの規範とされ、ビーチボーイズやTake6など多くのグループに影響を与えた。( http://ja.wikipedia.org/wiki/ジーン・ピュアリング )

 近年、ハモネプなどで日本でも認知されてきたア・カペラですが、もともとは簡素化された教会音楽の様式のことでした。そこから転じて、教会音楽に限らず無伴奏で合唱・重唱・独唱を行うこと、またはそのための楽曲全般を指すようになりました。

 アメリカに置けるアカペラは19世紀後半、男たちが床屋に集まって合唱を楽しむのが流行し「バーバーショップ・ハーモニー」と呼ばれる独自のスタイルが出来上がりました。

 私がこういったアメリカのアカペラにふれたのは1970年、中学3年生の時、修学旅行で大阪万博を訪れた際、アメリカ人4人のアカペラグループが「ドライボーンズ」を歌っているのを聞いたのが最初です.この曲は1950年代にデルタ・リズム・ボーイズという黒人のカルテットが歌い、一躍有名になった曲です.人体の12の骨がくっつき合い、また離される様を、足のつま先の骨から半音階転調で半音ずつ上がって頭蓋骨まで行き,今度は半音ずつ下がって肋骨に至るリズミカルで楽しい曲です。このときまでこのような曲を余り聴いた事がなく、無伴奏で素晴らしいハーモニーに大変感激しました.ドライボーンズのオリジナルはYouTubeで見ることができます.

 そのような体験をした頃,1971年にシンガーズ・アンリミテッドが結成され,オスカー・ピーターソン・トリオとのコラボでアルバム「In Tune」が発表されました.このアルバムはおそらくグループを売り出すためにだと思いますが、オスカー・ピーターソンをフィーチャーし、純粋なアカペラというわけではないのですが,初めて聴いてこのグループの純粋なハーモニーの素晴らしさ、とても洗練された編曲に一聴してこのグループのファンとなりました.このアルバムの中の一曲 It never entered my mindを是非、お聞きください.

 その後、次々と発表されるシンガーズ・アンリミテッドのレコードを買いました.その中でも「Christmas」は従来の明るい楽しいクリスマス、Happy Hollydayという通常のクリスマスアルバムとは一線を画し、もう少しクリスマスの起源、精神に近い曲が選ばれており、大変素晴らしいアルバムだと思います.特にアルフレッド・バートが書いた15曲のキャロルのうちの6曲納められており、特に私のお気に入りです.(ただし、これらの曲はもともとのアルフレッド・バートの曲がよく出来ていて、ジーン・ピュアリングの編曲という事ではありませんが)アルフレッド・バートは33歳で亡くなったアメリカの作曲家、ミュージシャンで、彼についてはまた改めて書きたいと思います.アフルレッド・バートの曲ではNight Bethlehem、ジーン・ピュアリングという意味では Have Yourself A Merry Little Christmas 、Snowfallがお薦めです.

Night Bethlehem
Have Yourself A Merry Little Christmas
Snowfall

 残念な事に、シンガーズアンリミテッド、ジーン・ピュアリングの絶頂期はちょうど、レコードからCDへの切り替えの時期であったため,私の持っていたLPレコードは今では手元になく、シンガーズアンリミテッド名義の15枚作られたLPのうち、現在CDで手に入るのはせいぜい2−3枚となってしまいました.興味のある方はアマゾンで試聴が出来ます.是非お試しください.

その後、絶版になっているMagic VoicesというCD7枚組を手に入れることができました。私の宝物です。

ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲

2013年3月3日日曜日

久しぶりの更新になります.

今回は、YouTubeで見つけたラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲の動画を取り上げたいと思います.若いソリスト、オーケストラの楽譜に忠実な正確な演奏だと思いますので、曲の構造を聞くには良い演奏だと思います.

この曲は第一次世界大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ヴィットゲンシュタインの委嘱で書かれた曲です.眼を閉じて曲を聞いて頂くと、普通にピアノを両手で弾いているように聞こえるのではないかと思います.改めてラヴェルの技巧に驚かされます.

曲はコントラバスのミーラーレーソのうごめくようなアルペジオの上に、コントラファゴットの付点音符のサラバンドの第一主題で始まります。

そこにホルンのミ♭ーレードの主題が重なり、次第に木管楽器が加わり、金管楽器が加わって暗い世界に、強い太陽の光が差し込むような響の中でピアノソロの序奏が始まります.

その序奏がひとしきり終わり、最後の混沌とした和音がニ長調の最低音のオクターヴの主音のみを残して消え、その低音のDの響きの上に、主題が静かに弾かれます.この主題の現れるところはこの曲の中でもとても感動的な一瞬だと思います.( 3:20 )

その後、オーケストラも加わって主題が最高潮に達し、静かになると、ピアノのカデンツァが始まります.( 6:40 )

この部分は低音の伴奏が3連譜で、高音のメロディーが4分音符、8分音符で書かれ、左手一本で弾いても伴奏、メロディーが明瞭に分かれて聞こえるように工夫されていると思います.その後、オーケストラも加わり、第一主題が展開されます.

それが終わると軍隊の行進のようなリズムのアレグロとなります.

しかし、その中にもラヴェルいたずらっぽい無邪気な主題が紛れ込みます.( 10:50 )

その後、ミ♭ーレードのテーマが現れ(11:20)次第に盛り上がり再び無邪気なテーマが現れた後,オーケストラの総奏となり、それが静まるとカデンツァとなります.(15:10)このカデンツァではアルペジオの音型の中にメロディーが埋め込まれ、メロディーと伴奏が左手と右手で弾かれているように聞こえます.

次第に初めのテーマに回帰し、気分が高揚してくると、そこにオーケストラが加わりすばやく終結に向かいます.

とにかく、この曲はラヴェルが左手一本でピアノ協奏曲をかくという制約を与えられ,その制約故にラヴェルの天才がいかんなく発揮された一曲だと思います.

是非、楽譜( http://imslp.org/wiki/Piano_Concerto_for_the_Left_Hand_(Ravel,_Maurice) ) にあります.)を見ながらお聞きになる事をお勧めします.

また、両手のために書かれたト長調の協奏曲と聞き比べるのも面白いのでは無いかと思います.

総理の器量 政治記者が見たリーダー秘話

2012年11月4日日曜日

 今回、取り上げるのは橋本五郎著「総理の器量 政治記者が見たリーダー秘話」中公新書ラクレ ISBN978-4-12-150421-0 C1231です.

 この本はいわゆる総理番と呼ばれる、総理にぴったりくっついて日夜取材をする新聞記者の体験をもとに、9人の歴代の総理の考え,人となり、評価を書いた本です.タイトルに一言で括った言葉が期されていますので列記しておきます.

第一章 中曽根康弘にみる「王道の政治」

第二章 福田赳夫にみる「清貧の政治」

第三章 大平正芳にみる「韜晦の政治」

第四章 三木武夫にみる「説得の政治」

第五章 竹下登にみる「無限包容の政治」

第六章 宮澤喜一にみる「知性の政治」

第七章 橋本龍太郎にみる「正眼の政治」

第八章 小渕恵三にみる「謙譲の政治」

第九章 小泉純一郎にみる「無借金の政治」

 この本を読むと、それぞれの政治家が際立った個性を持ち、優れた資質により、全部が全部とはいいませんがそれぞれの政治哲学、目指す国のあり方を目指して政治を行ってきたことが書かれています.従来の報道では政治家の一挙手一投足にケチを付けるような記事がほとんどで、その奥で政治家が何を目指しているのかがほとんど問題にされず、政治家が単にお金儲け、権力欲のためだけに政治を行っているかのように書かれます.しかし、政治家の大きな考えにも言及しないと、国民は大筋を見ず、枝葉のような欠点をあげつらって、100の大切なことをする人を1つの問題点で排除してしまい,問題点は0だけれど、大切なことを一つも出来ない政治家ばかりが残ってしまうという状況を生み出しているように思います.政治不信の時代にこのような政治家の大望、理想はなんだったのかを考える価値はあるのではないかと思います.

 最後に、これだけ恵まれた資質を持ち、立派な考えを持ち、たくさん勉強をして、たくさん経験を積んだ彼らを持ってしてもなかなかうまく行かない政治というものは究極のアートだと思いました.

「本当のこと」を伝えない日本の新聞

2012年10月28日日曜日

マーティン ファクラー著 「本当のこと」を伝えない日本の新聞 双葉新書 ISBN978-4-575-15394-1 C0295

 著者はニューヨークタイムズ東京支局長で、12年間日本で取材を続けています.その中で、情報を独占し、世代間格差や社会システム、官僚制度の硬直化など日本が本当に解決すべき問題を積極的には扱おうとしない記者クラブという組織に疑問を持ったことからこの本が書かれました.

 主な内容は以下のようです.

 第一章 青い目の3.11取材記

 3.11の取材での体験から、被災地でも「仮設記者クラブ」を作り、役場の職員に対し行方不明者の数を一桁の違いにこだわって質問を繰り返す一方、彼らがどのように津波から生き延びたのかを聞かない記者たちのこと、南相馬市から日本人記者たちが逃げ出してしまい,インターネットのYouTubeでSOSを発信しなければならなかった桜井市長の話など興味深い内容です.

 第二章 情報寡占組織 記者クラブ

 「記者クラブ」とは記者の集合体およびその詰め所のことですが、この詰め所には記者クラブ加盟社の記者以外は原則的に立ち入ることは出来ず、当局から配られるプレスリリースなどを独占します.記者クラブ主催の会見には、幹事社の許可が下りない限り外部記者が参加することは出来ません.そのような体制の中で大震災時の報道は東京電力、原子力安全保安院、官邸の発表の内容のそれ以上でもそれ以下でもないというような各社横並びの報道になりました.そして、触れると大企業、行政、政府に対してまずいであろうと思われるような情報は自ら掘り起こしたりすることはせず、会社が認めたり、裁判所が判決を出したりなにかしらの「お墨付き」が出た瞬間に新聞に記事を書く「発表ジャーナリズム」の問題.前回の政権交代が起きる総選挙の直前に西松建設事件で二大政党の一方の代表を逮捕も起訴されていない状況で徹底的に叩くという不自然な姿勢.オリンパス事件で当初は旧経営陣の言うままのことを掲載し、旧経営陣が辞任すると、旧経営陣を批判するなどの実例をもって日本の新聞の姿勢を批判しています.

 第三章 かくもおかしい新聞

 企業経営者や政治家とべったりつきあう記者の姿、オフレコ破りの問題、匿名のコメントの率が非常に高い問題、「客観報道」神話の問題、権力に近寄りすぎた報道「アクセス・ジャーナリズム」の問題、道警裏金問題をめぐる北海道新聞の迷走などが述べられています.

 第四章 ジャーナリストがいない国

 サラリーマンとしてのジャーナリスト、正社員にしか記事を書かせないこと、フリーランスの記者が在野意識をもって良い仕事をしているのに,夕刊紙や週刊誌にしか記事を書けない一方、新聞では当局とエリート意識を共有している記者が仕事をし二分化している状況を述べ、日本のマスコミは中国より閉鎖的と断定しています.

 第五章 日本の新聞 生き残りの道

 ブログ、ツイッター、Facebook、YouTubeなどのソーシャルメディアの活用に非常消極的な日本の新聞、独自路線を貫く地方誌の可能性など、横並びではなくオンリーワンのメディアとしての生き残りが必要と述べ,まもなく「記者クラブ」型メディアの時代が終わると予言しています.

 以上のような内容でしたが,この本で一番印象に残ったのは著者が日本の若い記者と話して現状に不満を持っている人がたくさんいて,彼らは問題の本質を見抜いていること、そして、その他のメディアが成長する中で記者クラブを通じて報道されるニュースの価値は低下し、記者クラブの存在自体に国民が不信感を抱いているということを理解し、正常な感覚を持っていると感じたと述べていることです.そこに私は日本のメディアの未来の希望を見ました.

トリュフォーの思春期 その2

2012年10月17日水曜日

 前回トリュフォーの言いたかった事というのを見てのお楽しみとしましたが,あえて、その答えを書いておこうと思います.ご自分で確かめたい方は以下を読まないで下さい.

 トリュフォーはリシェ先生の考えとして以下のように言わせています.(ここで出てくる転校生のジュリアンはどこか陰のある少年。先生の叱責など屁とも思っていない。でも、実は家で母と祖母に虐待を受けていたのです.) 

 「ジュリアンほどではないが先生も不幸だった。早く大人になりたくて仕方がなかった。大人は何でも出来る。不幸なら、よそへ行って新しい生活も出来る。子供には許されない。子供には自由がない。不幸だから親を捨てるなんてことは出来ない。子供は不幸を親や大人のせいに出来ない。大人に許されることが子供には許されない。実に不当な仕打ちだ。このような不正と闘わなければならない。世の中は変わっていくが、すぐには変わらない。政府は何事にも妥協しないと言うが、実際には色々な圧力に妥協ばかりしている。みんなの要求が強いと何かが変わる。そのことがやっと分かり、人々は街に出て叫び始めた。大人はその気になれば、闘って自分の生活を変えることが出来る。自分の運命も。しかし子供はその闘いに参加出来ない。ジュリアンも君達も。その理由は、子供には選挙権がない。選挙権があれば子供も政治家に尊重される。冬は一時間遅く学校が始まる制度も作れる。先生は、実は学校が大嫌いだった。だから学校が好きになれる仕事を選んだんだ。教師の仕事を。生きることは苦しい。苦しみに耐えなければならない。自分の苦しみにも、他人の苦しみにも。子供時代に苦しんだ者ほど生命力に恵まれる。幸福にも恵まれる。生きるのはつらいが、人生は美しい。生きている喜びは、健康な時には分かりにくい。体が動かなくなった時に初めて分かる。……明日からは夏休みだ。初めての土地に行き、初めての人に出会う。9月の新学期にはみんな上級だ。それに来年からは男女共学だ。それから、やがてみんなも子供を持つ親になる。子供を愛する親になれ。子供を愛する親は子供にも愛されるはずだ。人生とは、愛し、愛されることだ。人間は愛がなくては生きられないものなんだ。では、みんな、楽しい夏休みを」

 今、いじめの問題が世の中を覆っていますが,学校の先生一人一人にこの映画を見て欲しい、あるいはこのリシェ先生の言葉を聞いてもらいたいと思っています.

おまけに登場人物の写真を並べてみます.

主人公のパトリック(左)映画館でナンパされたパトリシア(右)実はトリュフォー監督の実のお嬢さん

パトリックのいとこマルチーヌ

お留守番をさせられたシルヴィー

散髪代をせしめるためにリシャールの髪を刈ってしまうリュカ兄弟

10階の窓からどーんしてしまうグレゴリー坊や

転校生のジュリアン

役者顔負けの芝居上手なルイヤール(左)

トリュフォーの思春期

2012年10月14日日曜日

 この映画は1976年に公開された、亡きフランソワ・トリュフォー監督の数多くの傑作の中の一つです.

 私としては大変お気に入りの映画であったので、その後、この映画のDVD化を待っていたのですが,なかなかDVD化されず、再び見る機会がありませんでした.しかし、ようやくDVD化されたようで、先日、蔦屋書店でこのDVDを見つけ、借りてきました.

 公開当時、私は大学生で、映画館で見た時に、モーリス・ジョーベールによる弦楽合奏の音楽をバックにこれから夏休みに入る子供たちが石畳の坂道を駆け下りるシーンからすっと映画の中に引き込まれ、フランスの子供たちのさまざまなエピソードを微笑みながら見た事を覚えています.

 モリエールの「守銭奴」の一節を朗読するのに、先生の前では何度指導されても棒読みをするのに、先生がいなくなったとたん、役者顔負けに朗読するルイヤール、お母さんが眼を離したすきにアパートの10階の窓から転落し、それでも傷一つなくニコニコ笑って「グレゴリー、どしんしちゃった」というグレゴリー坊や,両親とお食事に出かけるのにお気に入りの象さんのバッグを他のバッグにするように言われ、意地を張ってお留守番をさせられ、「おなかがすいた、おなかがすいた」とアパート中に 拡声器で連呼するシルヴィー、リシャールの散髪代をせしめるために髪をめちゃめちゃに刈ってしまうドリュカ兄弟などなどなかなかのキャラクターが揃っています.

 今回、30年以上経ってこの映画を見直してみると、初めて見た時の愛らしい映画という印象もさることながら、トリュフォーのメッセージが強く伝わってきました.リシェ先生の色々な言葉がまさにトリュフォーの言いたかった事だと思います.

そのメッセージはどんな事なのかは見てのお楽しみ.

フランス映画のお好きな方は、一度、ご覧になってはいかがでしょうか.

アースデイ田中正造に行ってきました.

2012年9月29日土曜日

 アースデイ田中正造に行ってきました.なんといってもお目当ては京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生の講演です.

 「正造さんと原子力」という、タイトルで講演の前半は、田中正造の生涯をたどり、後半は原子力と原発事故のお話でした.

 福島第一原発事故がおこり、放射能による環境汚染がおこると、それまで厳重に放射線管理区域として管理していたのに、あっさりと基準を変えて、それを遥かに超える放射能汚染の中に住民を生活させてしまう国は法治国家と言えるのか.また、足尾鉱毒、その後の四大公害を経て、今回の福島原発事故に共通しているのは、国を豊かにするという思想から企業を保護し、住民は切り捨てるという構図.そうして出来た国が豊かと言えるのかそれが私たち自身に問われていると結ばれました.

 田中正造の生涯をお話しされた中で、晩年の田中正造が体を壊し、佐野の支援者の家で床に伏している時、見舞いにきた人々に対し、正造が「お前方大勢来ているそうだが嬉しくも何ともない.みんな正造に同情するだけで、正造の事業に同情して来てくれるものは一人もない.おれは嬉しくない。行って皆にそういえ.」と言ったという下りでは、演者も聴衆も思わず目頭が熱くなりました.自分が田中正造の事業の衣鉢を継ぐのだという小出先生の強い信念が聴衆の心に伝わる場面でした.

 また、どう生きるのかということについて正造は「対立、戦うべし.政府の存立する間は政府と戦うべし.敵国襲い来たらば戦うべし.人侵入さば戦うべし.その戦うに道あり.腕力殺戮をもってせると天理によって広く教えて勝つものとの二の大別あり.予はこの天理によりて戦うものにて、斃れてもやまざるは我が道なり.」と天理によって戦うという姿勢を鮮明にしていますが、これも小出先生のどこまでも戦って行くという闘争宣言だと思います.

 この講演を聞いて、私たち一人一人がどのような社会を目指すのか、物質なのか心なのか、よく考える必要がある事、また、そうした社会を築くためには私たち一人一人が戦わなくてはならないということを強く感じました.

ヒューゴの不思議な発明

2012年9月23日日曜日

 先日、蔦屋書店で借りてきて「ヒューゴの不思議な発明」を見ました.

これは映画好きにとってはたまらない傑作だと思います.スコセッジの映画に対する愛情、先人に対する敬愛の念が映画の隅々に出ています.

 そのまま素直に見ても楽しいのですが,まさに創成期の映画、映画人に対するオマージュであるこの作品は、随所に本歌取りのようにかつての作品のイメージが使われており、この部分はこの映画からという風に見ると一層楽しいと思います.

以下、ネタばらしになりますので、まだご覧になっていない方はご覧になってからお読みになった方が宜しいと思います.

 ヒューゴ役の少年は、青い目がきれいで、両親をなくし、叔父の仕事を手伝っているという設定にぴったりのうちに秘めた悲しみを思わせる少年です.一方、相手役の少女は屈託のない対称的なキャラクターで、これも役にぴったりのキャスティングだと思います.

 でも、なんと言っても脇役が凄く、ヒューゴの亡くなった父親役にジュード・ロウ、影の主役パパ・ジョルジュ(=ジョルジュ・メリエス)役にベン・キングズレー、敵役的な鉄道公安官役にサシャ・バロン・コーエン、本屋の主人にクリストファー・リーなどなど脇が固まっています.

 ジュード・ローは高名な2枚目ですが、僕自身はあまり良く知らない役者でこの映画でも比較的印象は薄い感じでした.

 一方、ベン・キングスレーはものすごい存在感で、「ガンジー」で初めて知ってからいつも凄いなと思っている役者ですが、晩年のメリエスの悲しみ、かつての華やかな時期のメリエスの才能、華、幸福を余すところなく表現していました.

 サシャ・バロン・コーエンは初めてこの映画で見たのですが,これもものすごい個性の持ち主で、この鉄道公安官役の孤児としての生い立ちから少し性格が歪んで意地悪かったり、でもナイーブな恋心をもっていたり,というような複雑な性格をうまく表現して存在感を見せていました.追っかけシーンでの動きも素晴らしかったです.

 本屋の主人役、クリストファー・リーはドラキュラ役者として有名で、子供の頃に見た映画では、いずれも冷たい、怖い役をやっていましたが,この映画ではいいお爺さんになっていて、本当にいい年の取り方をしたなと思いました.

 以下、この映画の細部について少し述べます.

1.舞台となる駅のファサードはパリ北駅、右側の時計塔はリヨン駅だそうです。メリエスが実際に玩具店をやっていたのはモンパルナス駅というわけで、これら3つの駅を合成して仮想の駅が作られています.

2.ヒューゴが鉄道公安官に追われて時計塔の針にぶら下がるところはハロルド・ロイドの「ロイドの要心無用」からの引用.

3.夢の中で列車が突っ込んでくるのはリュミエール兄弟の「列車の到着」からの引用.

4.鉄道公安官が花屋の娘に恋してる設定はチャップリンの「街の灯」からの引用。

5.駅のあちこちに貼ってあるポスターはカッサンドルのもの.

6.ヒューゴが線路に降りたときに突っ込んでくる列車はカッサンドルのポスターにある北方急行(Nord Express)。 

7.ヒューゴが最初に鉄道公安官に追いかけられるシーンでカフェのテーブルにサルバドール・ダリとジェイムズ・ジョイスが座っている。楽団のギタリストはジャンゴ・ラインハルト.

8.自動人形の顔はフリッツ・ラングの「メトロポリス」のアンドロイド。

9.鉄道公安官が最後にヒューゴを線路から助け上げるところはヒッチコックの「北北西に進路をとれ」からの引用.

10.鉄道公安官はキーストンコップスを連想させる.

11.ヒューゴが鉄道公安官に追われて逃げる時に車の後部座席を一方から入って反対側に通り抜けるところはチャップリンの「街の灯」からの引用.

 などなど、僕の考え過ぎのところもあるかもしれませんし、気がついていないところが一杯あると思いますが,皆さんも考えてみては如何でしょうか.

 今年見た映画でこれまでのベストワンだと思います.