総理の器量 政治記者が見たリーダー秘話

2012年11月4日日曜日

 今回、取り上げるのは橋本五郎著「総理の器量 政治記者が見たリーダー秘話」中公新書ラクレ ISBN978-4-12-150421-0 C1231です.

 この本はいわゆる総理番と呼ばれる、総理にぴったりくっついて日夜取材をする新聞記者の体験をもとに、9人の歴代の総理の考え,人となり、評価を書いた本です.タイトルに一言で括った言葉が期されていますので列記しておきます.

第一章 中曽根康弘にみる「王道の政治」

第二章 福田赳夫にみる「清貧の政治」

第三章 大平正芳にみる「韜晦の政治」

第四章 三木武夫にみる「説得の政治」

第五章 竹下登にみる「無限包容の政治」

第六章 宮澤喜一にみる「知性の政治」

第七章 橋本龍太郎にみる「正眼の政治」

第八章 小渕恵三にみる「謙譲の政治」

第九章 小泉純一郎にみる「無借金の政治」

 この本を読むと、それぞれの政治家が際立った個性を持ち、優れた資質により、全部が全部とはいいませんがそれぞれの政治哲学、目指す国のあり方を目指して政治を行ってきたことが書かれています.従来の報道では政治家の一挙手一投足にケチを付けるような記事がほとんどで、その奥で政治家が何を目指しているのかがほとんど問題にされず、政治家が単にお金儲け、権力欲のためだけに政治を行っているかのように書かれます.しかし、政治家の大きな考えにも言及しないと、国民は大筋を見ず、枝葉のような欠点をあげつらって、100の大切なことをする人を1つの問題点で排除してしまい,問題点は0だけれど、大切なことを一つも出来ない政治家ばかりが残ってしまうという状況を生み出しているように思います.政治不信の時代にこのような政治家の大望、理想はなんだったのかを考える価値はあるのではないかと思います.

 最後に、これだけ恵まれた資質を持ち、立派な考えを持ち、たくさん勉強をして、たくさん経験を積んだ彼らを持ってしてもなかなかうまく行かない政治というものは究極のアートだと思いました.

「本当のこと」を伝えない日本の新聞

2012年10月28日日曜日

マーティン ファクラー著 「本当のこと」を伝えない日本の新聞 双葉新書 ISBN978-4-575-15394-1 C0295

 著者はニューヨークタイムズ東京支局長で、12年間日本で取材を続けています.その中で、情報を独占し、世代間格差や社会システム、官僚制度の硬直化など日本が本当に解決すべき問題を積極的には扱おうとしない記者クラブという組織に疑問を持ったことからこの本が書かれました.

 主な内容は以下のようです.

 第一章 青い目の3.11取材記

 3.11の取材での体験から、被災地でも「仮設記者クラブ」を作り、役場の職員に対し行方不明者の数を一桁の違いにこだわって質問を繰り返す一方、彼らがどのように津波から生き延びたのかを聞かない記者たちのこと、南相馬市から日本人記者たちが逃げ出してしまい,インターネットのYouTubeでSOSを発信しなければならなかった桜井市長の話など興味深い内容です.

 第二章 情報寡占組織 記者クラブ

 「記者クラブ」とは記者の集合体およびその詰め所のことですが、この詰め所には記者クラブ加盟社の記者以外は原則的に立ち入ることは出来ず、当局から配られるプレスリリースなどを独占します.記者クラブ主催の会見には、幹事社の許可が下りない限り外部記者が参加することは出来ません.そのような体制の中で大震災時の報道は東京電力、原子力安全保安院、官邸の発表の内容のそれ以上でもそれ以下でもないというような各社横並びの報道になりました.そして、触れると大企業、行政、政府に対してまずいであろうと思われるような情報は自ら掘り起こしたりすることはせず、会社が認めたり、裁判所が判決を出したりなにかしらの「お墨付き」が出た瞬間に新聞に記事を書く「発表ジャーナリズム」の問題.前回の政権交代が起きる総選挙の直前に西松建設事件で二大政党の一方の代表を逮捕も起訴されていない状況で徹底的に叩くという不自然な姿勢.オリンパス事件で当初は旧経営陣の言うままのことを掲載し、旧経営陣が辞任すると、旧経営陣を批判するなどの実例をもって日本の新聞の姿勢を批判しています.

 第三章 かくもおかしい新聞

 企業経営者や政治家とべったりつきあう記者の姿、オフレコ破りの問題、匿名のコメントの率が非常に高い問題、「客観報道」神話の問題、権力に近寄りすぎた報道「アクセス・ジャーナリズム」の問題、道警裏金問題をめぐる北海道新聞の迷走などが述べられています.

 第四章 ジャーナリストがいない国

 サラリーマンとしてのジャーナリスト、正社員にしか記事を書かせないこと、フリーランスの記者が在野意識をもって良い仕事をしているのに,夕刊紙や週刊誌にしか記事を書けない一方、新聞では当局とエリート意識を共有している記者が仕事をし二分化している状況を述べ、日本のマスコミは中国より閉鎖的と断定しています.

 第五章 日本の新聞 生き残りの道

 ブログ、ツイッター、Facebook、YouTubeなどのソーシャルメディアの活用に非常消極的な日本の新聞、独自路線を貫く地方誌の可能性など、横並びではなくオンリーワンのメディアとしての生き残りが必要と述べ,まもなく「記者クラブ」型メディアの時代が終わると予言しています.

 以上のような内容でしたが,この本で一番印象に残ったのは著者が日本の若い記者と話して現状に不満を持っている人がたくさんいて,彼らは問題の本質を見抜いていること、そして、その他のメディアが成長する中で記者クラブを通じて報道されるニュースの価値は低下し、記者クラブの存在自体に国民が不信感を抱いているということを理解し、正常な感覚を持っていると感じたと述べていることです.そこに私は日本のメディアの未来の希望を見ました.

トリュフォーの思春期 その2

2012年10月17日水曜日

 前回トリュフォーの言いたかった事というのを見てのお楽しみとしましたが,あえて、その答えを書いておこうと思います.ご自分で確かめたい方は以下を読まないで下さい.

 トリュフォーはリシェ先生の考えとして以下のように言わせています.(ここで出てくる転校生のジュリアンはどこか陰のある少年。先生の叱責など屁とも思っていない。でも、実は家で母と祖母に虐待を受けていたのです.) 

 「ジュリアンほどではないが先生も不幸だった。早く大人になりたくて仕方がなかった。大人は何でも出来る。不幸なら、よそへ行って新しい生活も出来る。子供には許されない。子供には自由がない。不幸だから親を捨てるなんてことは出来ない。子供は不幸を親や大人のせいに出来ない。大人に許されることが子供には許されない。実に不当な仕打ちだ。このような不正と闘わなければならない。世の中は変わっていくが、すぐには変わらない。政府は何事にも妥協しないと言うが、実際には色々な圧力に妥協ばかりしている。みんなの要求が強いと何かが変わる。そのことがやっと分かり、人々は街に出て叫び始めた。大人はその気になれば、闘って自分の生活を変えることが出来る。自分の運命も。しかし子供はその闘いに参加出来ない。ジュリアンも君達も。その理由は、子供には選挙権がない。選挙権があれば子供も政治家に尊重される。冬は一時間遅く学校が始まる制度も作れる。先生は、実は学校が大嫌いだった。だから学校が好きになれる仕事を選んだんだ。教師の仕事を。生きることは苦しい。苦しみに耐えなければならない。自分の苦しみにも、他人の苦しみにも。子供時代に苦しんだ者ほど生命力に恵まれる。幸福にも恵まれる。生きるのはつらいが、人生は美しい。生きている喜びは、健康な時には分かりにくい。体が動かなくなった時に初めて分かる。……明日からは夏休みだ。初めての土地に行き、初めての人に出会う。9月の新学期にはみんな上級だ。それに来年からは男女共学だ。それから、やがてみんなも子供を持つ親になる。子供を愛する親になれ。子供を愛する親は子供にも愛されるはずだ。人生とは、愛し、愛されることだ。人間は愛がなくては生きられないものなんだ。では、みんな、楽しい夏休みを」

 今、いじめの問題が世の中を覆っていますが,学校の先生一人一人にこの映画を見て欲しい、あるいはこのリシェ先生の言葉を聞いてもらいたいと思っています.

おまけに登場人物の写真を並べてみます.

主人公のパトリック(左)映画館でナンパされたパトリシア(右)実はトリュフォー監督の実のお嬢さん

パトリックのいとこマルチーヌ

お留守番をさせられたシルヴィー

散髪代をせしめるためにリシャールの髪を刈ってしまうリュカ兄弟

10階の窓からどーんしてしまうグレゴリー坊や

転校生のジュリアン

役者顔負けの芝居上手なルイヤール(左)

トリュフォーの思春期

2012年10月14日日曜日

 この映画は1976年に公開された、亡きフランソワ・トリュフォー監督の数多くの傑作の中の一つです.

 私としては大変お気に入りの映画であったので、その後、この映画のDVD化を待っていたのですが,なかなかDVD化されず、再び見る機会がありませんでした.しかし、ようやくDVD化されたようで、先日、蔦屋書店でこのDVDを見つけ、借りてきました.

 公開当時、私は大学生で、映画館で見た時に、モーリス・ジョーベールによる弦楽合奏の音楽をバックにこれから夏休みに入る子供たちが石畳の坂道を駆け下りるシーンからすっと映画の中に引き込まれ、フランスの子供たちのさまざまなエピソードを微笑みながら見た事を覚えています.

 モリエールの「守銭奴」の一節を朗読するのに、先生の前では何度指導されても棒読みをするのに、先生がいなくなったとたん、役者顔負けに朗読するルイヤール、お母さんが眼を離したすきにアパートの10階の窓から転落し、それでも傷一つなくニコニコ笑って「グレゴリー、どしんしちゃった」というグレゴリー坊や,両親とお食事に出かけるのにお気に入りの象さんのバッグを他のバッグにするように言われ、意地を張ってお留守番をさせられ、「おなかがすいた、おなかがすいた」とアパート中に 拡声器で連呼するシルヴィー、リシャールの散髪代をせしめるために髪をめちゃめちゃに刈ってしまうドリュカ兄弟などなどなかなかのキャラクターが揃っています.

 今回、30年以上経ってこの映画を見直してみると、初めて見た時の愛らしい映画という印象もさることながら、トリュフォーのメッセージが強く伝わってきました.リシェ先生の色々な言葉がまさにトリュフォーの言いたかった事だと思います.

そのメッセージはどんな事なのかは見てのお楽しみ.

フランス映画のお好きな方は、一度、ご覧になってはいかがでしょうか.

アースデイ田中正造に行ってきました.

2012年9月29日土曜日

 アースデイ田中正造に行ってきました.なんといってもお目当ては京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生の講演です.

 「正造さんと原子力」という、タイトルで講演の前半は、田中正造の生涯をたどり、後半は原子力と原発事故のお話でした.

 福島第一原発事故がおこり、放射能による環境汚染がおこると、それまで厳重に放射線管理区域として管理していたのに、あっさりと基準を変えて、それを遥かに超える放射能汚染の中に住民を生活させてしまう国は法治国家と言えるのか.また、足尾鉱毒、その後の四大公害を経て、今回の福島原発事故に共通しているのは、国を豊かにするという思想から企業を保護し、住民は切り捨てるという構図.そうして出来た国が豊かと言えるのかそれが私たち自身に問われていると結ばれました.

 田中正造の生涯をお話しされた中で、晩年の田中正造が体を壊し、佐野の支援者の家で床に伏している時、見舞いにきた人々に対し、正造が「お前方大勢来ているそうだが嬉しくも何ともない.みんな正造に同情するだけで、正造の事業に同情して来てくれるものは一人もない.おれは嬉しくない。行って皆にそういえ.」と言ったという下りでは、演者も聴衆も思わず目頭が熱くなりました.自分が田中正造の事業の衣鉢を継ぐのだという小出先生の強い信念が聴衆の心に伝わる場面でした.

 また、どう生きるのかということについて正造は「対立、戦うべし.政府の存立する間は政府と戦うべし.敵国襲い来たらば戦うべし.人侵入さば戦うべし.その戦うに道あり.腕力殺戮をもってせると天理によって広く教えて勝つものとの二の大別あり.予はこの天理によりて戦うものにて、斃れてもやまざるは我が道なり.」と天理によって戦うという姿勢を鮮明にしていますが、これも小出先生のどこまでも戦って行くという闘争宣言だと思います.

 この講演を聞いて、私たち一人一人がどのような社会を目指すのか、物質なのか心なのか、よく考える必要がある事、また、そうした社会を築くためには私たち一人一人が戦わなくてはならないということを強く感じました.

ヒューゴの不思議な発明

2012年9月23日日曜日

 先日、蔦屋書店で借りてきて「ヒューゴの不思議な発明」を見ました.

これは映画好きにとってはたまらない傑作だと思います.スコセッジの映画に対する愛情、先人に対する敬愛の念が映画の隅々に出ています.

 そのまま素直に見ても楽しいのですが,まさに創成期の映画、映画人に対するオマージュであるこの作品は、随所に本歌取りのようにかつての作品のイメージが使われており、この部分はこの映画からという風に見ると一層楽しいと思います.

以下、ネタばらしになりますので、まだご覧になっていない方はご覧になってからお読みになった方が宜しいと思います.

 ヒューゴ役の少年は、青い目がきれいで、両親をなくし、叔父の仕事を手伝っているという設定にぴったりのうちに秘めた悲しみを思わせる少年です.一方、相手役の少女は屈託のない対称的なキャラクターで、これも役にぴったりのキャスティングだと思います.

 でも、なんと言っても脇役が凄く、ヒューゴの亡くなった父親役にジュード・ロウ、影の主役パパ・ジョルジュ(=ジョルジュ・メリエス)役にベン・キングズレー、敵役的な鉄道公安官役にサシャ・バロン・コーエン、本屋の主人にクリストファー・リーなどなど脇が固まっています.

 ジュード・ローは高名な2枚目ですが、僕自身はあまり良く知らない役者でこの映画でも比較的印象は薄い感じでした.

 一方、ベン・キングスレーはものすごい存在感で、「ガンジー」で初めて知ってからいつも凄いなと思っている役者ですが、晩年のメリエスの悲しみ、かつての華やかな時期のメリエスの才能、華、幸福を余すところなく表現していました.

 サシャ・バロン・コーエンは初めてこの映画で見たのですが,これもものすごい個性の持ち主で、この鉄道公安官役の孤児としての生い立ちから少し性格が歪んで意地悪かったり、でもナイーブな恋心をもっていたり,というような複雑な性格をうまく表現して存在感を見せていました.追っかけシーンでの動きも素晴らしかったです.

 本屋の主人役、クリストファー・リーはドラキュラ役者として有名で、子供の頃に見た映画では、いずれも冷たい、怖い役をやっていましたが,この映画ではいいお爺さんになっていて、本当にいい年の取り方をしたなと思いました.

 以下、この映画の細部について少し述べます.

1.舞台となる駅のファサードはパリ北駅、右側の時計塔はリヨン駅だそうです。メリエスが実際に玩具店をやっていたのはモンパルナス駅というわけで、これら3つの駅を合成して仮想の駅が作られています.

2.ヒューゴが鉄道公安官に追われて時計塔の針にぶら下がるところはハロルド・ロイドの「ロイドの要心無用」からの引用.

3.夢の中で列車が突っ込んでくるのはリュミエール兄弟の「列車の到着」からの引用.

4.鉄道公安官が花屋の娘に恋してる設定はチャップリンの「街の灯」からの引用。

5.駅のあちこちにってあるポスターはカッサンドルのもの.

6.ヒューゴが線路に降りたときに突っ込んでくる列車はカッサンドルのポスターにある北方急行(Nord Express)。 

7.ヒューゴが最初に鉄道公安官に追いかけられるシーンでカフェのテーブルにサルバドール・ダリとジェイムズ・ジョイスが座っている。楽団のギタリストはジャンゴ・ラインハルト.

8.自動人形の顔はフリッツ・ラングの「メトロポリス」のアンドロイド。

9.鉄道公安官が最後にヒューゴを線路から助け上げるところはヒッチコックの「北北西に進路をとれ」からの引用.

10.鉄道公安官はキーストンコップスを連想させる.

11.ヒューゴが鉄道公安官に追われて逃げる時に車の後部座席を一方から入って反対側に通り抜けるところはチャップリンの「街の灯」からの引用.

 などなど、僕の考え過ぎのところもあるかもしれませんし、気がついていないところが一杯あると思いますが,皆さんも考えてみては如何でしょうか.

 今年見た映画でこれまでのベストワンだと思います.

山本美香さんの死に思う

2012年8月22日水曜日

内戦状態のシリアで,ジャーナリストの山本美香さんが政府軍兵士に撃たれ亡くなりました.自分の命をかけてシリアあるいは世界中の紛争の最前線に立ち、そこで起こっている事、そこにいる人々の真実の姿を伝えるこのような人がいる事を改めて認識させられました.心から哀悼の意を表すとともにご家族の皆様に心からのお悔やみを申し上げたいと思います.

山本さんの最後の映像を見ましたが,銃撃戦の中にいる、シリアの一般住民や子供たちが本当に共感を持って映されていました。そのような人間性にあふれる映像の後で、突然、銃声とともに画面が停止して映像は終わります.そこにいる一人一人の人間性と戦争による理不尽な死の対比は、まさにルイス・マイルストン監督が「西部戦線異常なし」の最後のストップモーションで言おうとしたことと同じだと感じました.

山本さんの死はアメリカ、イギリス、香港、ロシアでも異例の扱いを受けているようです.その背景にはシリア問題を解決できない自分たち国際社会の後ろめたさが各国にあるのだろうと思います.これをきっかけに、現在の膠着状態に陥ったシリアをめぐる事態が進展する事を心から願っています.

その一方で,山本さんの勇気ある行動にひきかえ、自分がどれほどの事を世の中に対してしているのかを考えると本当に恥ずかしくなります.私たちはもっと社会的な意識を高く持ち、勇気を持って世の中の不当な状況に対して、立ち上がらなければならないと思います.

武士は死に場所を求めて生きると言われますが,自分もそういう事をそろそろ考えないといけないのかなと思わせられました.

また、世の中を変えうる権力を持った人々には、自己の持つ権力をそれを維持するために使うのではなく、世の中を良くするためにその権力をどう使うことが出来るのかを真剣に考えて頂き、それぞれの死に場所を求めて頂きたいと思います.

ホームページ再開

2012年8月14日火曜日

このホームページはiWebを使って、apple社のMobeleMe上にアップしていたのですが,apple社がMobeleMeのサービスを終了し、iCloudに移行したのに伴って、ホームページのサポートを中止してしまい.7月から今日までホームページが閉鎖状態となってしまいました.有料サーバーと契約し、やっとページのアップロードも完了し、今日から、ホームページ再開です.これまでにも増して、ブログを充実させたいと思っています.

Facebookのこと

2012年5月27日日曜日

株式の公開、創業者の結婚、その後の株価の低迷など話題に事欠かないFacebookですが,私としては、Facebookで何をしたら良いのか、どんなメリットがあるのか判らず、名前だけ登録し、のぞきもしないという状態でした.先日、横浜元町のスタバでお知り合いになった方がFacebookをやっていらっしゃるという事だったので、のぞいてみると、結構、知り合いも多く,自分の「いいね」に対して、意外な方から「いいね」のご賛同を頂いたり、20年以上もあっていない後輩とFacebookを介して連絡が取れたりと、なかなか面白いものだなとだんだんハマりつつあります.でも、まだ、Facebookの仕組みの細かいところがが判っていないところもあり、試行錯誤をしています.ご興味のある方はFacebookを横塚仁で検索して私のウォールをご覧になっていただければ幸いです.

@蔵コンサート

2012年5月19日土曜日

2003年に年1回10回という事で始まった@蔵コンサートの最終回、10回目のコンサートが10年間続いた@蔵コンサートに行ってきました.@蔵コンサートは田沼の一瓶塚稲荷神社(お稲荷さん)の前にある、呉服店の伊勢屋さんの中庭で田沼出身の川俣さんをリーダーとするアンサンブル・テレプシコーレの皆さんの演奏を聞く会として始まりましたが、最近では尺八、ジャズ演奏、海外の演奏家なども加わり年々規模が大きくなってきました.演奏が終わった後は、美味しいコーヒー、商店街の奥様方の手作りの郷土料理が振る舞われ,私たち地元民にとっては子供時代から慣れ親しんだ味、東京の方、海外の方にとっては第二の故郷の味を堪能しつつ、恩師の方々、同級生などと旧交を温めたり、皆で飲んだり食べたりしながら盛り上がるという会でした.
今回で、予定の10回が終了という事で、最終回という事でしたが,今回で最後という思いのこもった演奏が繰り広げられ、これまでになく感動しました.
でも、せっかく出来たこのようなつながりをここで終わらせるのはもったいない事だと思います.是非,今度は違った形で継続できればいいなと思います.
これまで10年間、会場を提供し、中心となってイベントを取り仕切ってきた高沢尚子さん、仕事そっちのけで準備をして下さった田沼の商店街の奥様方、お骨折りいただいたスタッフの方々、本当にご苦労様でした.