ロバート・マクナマラ

2023年6月11日(日曜日)

週末、撮りためてあるTVの録画を見るのが私の楽しみの一つなのですが、その中の一本、「映像の世紀バタフライエフェクト ベトナム戦争 マクナマラの誤謬(ごびゅう)」がとても良かったのでそのことについて書きたいと思います。

ロバート・マクナマラは1961年から1968年にかけてアメリカ合衆国の国防長官を務めており、私が子供の頃、TVのニュースで「マクナマラ長官」と言っているのをよく覚えています。

ケネディーの大統領就任とともに国防長官への就任を要請され、後にBest and Brightestとのちに呼ばれ、ケネディー政権を支えた若くて優秀な閣僚の一人でした。

番組は彼が空軍将校として第二次大戦末期の日本に対してヨーロッパ戦線のB-17を転用するよりも、新たにB-29を大量生産し、1万メートル上空から爆撃する方が対費用効果が優れていると提言したという紹介から始まります。(ただし、カーティス・ルメイが行った日本の都市への無差別爆撃に対しては倫理的に問題があると抗議したそうです。)

第二次大戦が終わり退役してフォード社に入り、商品の企画、ラインの効率化によりヒット車「ファルコン」を生み出し、GMに対して劣勢だったフォード社を建て直し、フォード一族以外で初の社長になりました。

社長になって5週間目に大統領に就任したケネディーから国防長官への就任を要請され、迷いはあったものの要請を受け、国防長官に就任しました。

国防長官としては、文民統制を実現し、データのコンピュータ化などによる防衛費の削減に手腕を振るいます。

この頃、アメリカは北ベトナムによるベトナム全体の共産化とそれに引き続くアジア全体の共産化(いわゆるドミノ理論)を危惧し、南ベトナムに軍事顧問団を送っておりました。彼は北ベトナム制圧は簡単にできると考え、軍の増派を決めます。しかし、予測は外れ、戦局は好転しませんでした。

彼は南ベトナムを訪問し、南ベトナム政府が国民から信頼されていないことを確信し、ケネディー大統領に撤退を進言します。大統領はそれを了解し、2年間で全ての米軍を撤退させることを決めます。その翌月、ケネディー大統領は暗殺されます。

その後を継いだジョンソン大統領はベトナム介入継続派で、撤兵を白紙に戻します。マクナマラは国民に選ばれた大統領に仕え、その政策を実行する立場にあるという考えから、大統領の意向に従い、トンキン湾事件を口実にベトナムに軍事介入して行きます。

敵兵の死者数ボディカウント(body count)、キルレシオ(kill ratio)などの数量化に基づく数値目標を作り戦局の好転を測りますが、一向に好転の兆しが見えません。

たびたびベトナムを視察して、増派にもかかわらず一向に戦局が好転しないことを確信した彼は、ジョンソン大統領に軍事以外の政治的な決着を進言しますが、大統領に拒絶されます。

結局、戦争継続を求める大統領と対立し、国防長官を退任しました。退任のスピーチで何も言えず、「別の機会に話します」としか言えなかった彼の姿は少し可哀想な感じもしました。

とにかく優秀な人で、与えられた仕事に自分の能力を使い尽くした人だと思います。彼は自分の考えとは違う考えの上司にも誠実に尽くす人でした。自分であれば、さっさと辞めたかなと思いますが、違う考えの上司でも自分が仕えることにより少しでも状況を良い方向に向けられたらと考えたのかもしれません。

彼の人生から色々なことを考えさせられる良い番組でした。

この文章を書いてまもなく、ジョンソン大統領時代の嘘にまみれたベトナム政策についてペンタゴンの内部情報をリークしたいわゆるペンタゴン・ペーパーズの告発者ダニエル・エルスバーグ氏が亡くなられたというニュースが入ってきました。彼が予測される大きな困難に立ち向かい、告発を行った勇気、倫理観に驚嘆します。また、その後大変な苦労をされたことと思います。心からご冥福をお祈りいたします。(2023年6月17日追記)

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