IKEAに行きました

2010年2月21日日曜日

 CD、DVDがあふれてしまったので、整理をする収納家具を探しに、船橋のIKEAに行きました.
 首都高を順調に湾岸線に進み、現地につくといきなりスウェーデン国旗のブルーとイェローの大きな倉庫のような建物が目に入り、表示に従って駐車場へ.車を降りてエレベータで1Fに行くと、いきなりスーパーのようなキャッシャーとその奥に大きな倉庫スペースがあります.そこで買い物をするのかと倉庫に行きましたが、そこは箱詰めされた家具が整然と並んでいるものの、何をどういう風に探して良いのかわかりません.お店の方に聞いてみると、まず2Fのショールームを見て、欲しいものの番号をメモしなさいとのこと.
 2Fに上がると、いろいろな家具がいくつものコーナーにそれぞれのコンセプトで展示されていて、いくつもの部屋を順路に沿ってちょうど美術館の絵を見て回るようにぞろぞろと歩き、気に入った家具の品番、1F倉庫の棚番号をメモしながら進みます.ちょうど1つのコーナーがカタログの1ページのようになっています.展示が洒落ているので、家具のテーマパークのような趣です.ショールームを一回りするのには1時間以上かかり、喉が渇くとそこにはドリンクコーナーがあり、更に進み、おなかがぺこぺこになったところでレストランが待ち構えています.
 レストランはカフェテリアスタイルで、好きなものを順にトレイに載せて最後にとった分を会計し、それをテーブルに持っていって食べるわけです.料理はスウェーデン料理ということで酢漬けの魚、サーモンのマリネ、スウェーデン風ミートボール、トマトのペンネ、ローストチキン、各種デザート、ドリンクバーなどが揃っています.ミートボールにクリームベースのソースとジャムをつけて食べるのがスウェーデン風のようです.サーモンのマリネも美味しいです.子供連れの家族のために、子供用のメニューも揃っています.
 家族でショールームやレストランの料理について感想を話しながらの食事が終わって、1Fにおりると、そこには今レストランで食べた料理の食材が並んだコーナーがあり、早速それを買い込み、今度は2Fでメモした家具を倉庫から選び出し、ワゴンに1つ1つ載せていきます.かなり広いスペースなので1つの品からまた次の品の場所へと次々に歩くので、結構な距離になります.キャッシャーに並び、会計を済まして、今度は配送の手配の列に並び、手続きを済ませ、品物を渡してようやく買い物は終了.やっと買い物が終了したところに、再び、ホットドッグやソフトクリームの誘惑が待ち構えています.
IKEAは家具売り場をテーマパークに仕立て上げ、値段も安く、子供連れに対する配慮もされており、また来てみたいと思わせる店でした.

モーリス・ラベルそしてハロルド・ロイド

2010年2月14日日曜日

本日はもう一つYouTubeの動画について書きます.

モーリス・ラベルの「ハイドンの名によるメヌエット」は1909年、ハイドンの没後100年を記念してパリの音楽雑誌SIMが6人の作曲家に作曲を依頼した、その内の1曲として作曲されました.「ハイドンの名による」というのはアルファベット表記でそれぞれの文字を音名として読んだ時に(例えばAはラ、Bはシ、Cはド、Dはレ、Eはミ、Fはファのようになりますが)HAYDNはシラレレソ(Yは25番目で4周目のレ、Nは14番目で2周目のソとなります)と読めますのでシラレレソというテーマで曲が始まります.ラベルは私の最も好きな作曲家ですが、その中でもベスト3に入る曲です.
この曲に合わせた映像がこの動画のミソになるわけですが、なんと映像はハロルド・ロイドの1924年の映画「猛進ロイド」( 原題Girl Shy )の一場面です.(ハロルド・ロイドは現在でも眼鏡のフレームにロイド眼鏡として名前を残す、アメリカの喜劇俳優です.)
ある時、列車の中で偶然に出会い、お互いに一目惚れしたハロルドとマリーですが、それっきり離ればなれになっていました.ところが、ある日、橋の上と、橋の下のボートの上でお互いのことを思っている二人が、思いがかない、再開する場面です.
モーリス・ラベルの控えめで上品でそしてロマンティックな音楽とヴェルナー・ハースの演奏、そしてハロルド・ロイドのシャイなキャラクターが、意表をつきながら実は映像と音楽としてぴったりとはまる、絶妙な組み合わせのセンスあふれる動画です.

楽譜は以下のリンクでご覧ください。 https://imslp.org/wiki/Menuet_sur_le_nom_d’Haydn_(Ravel%2C_Maurice)

ヒラリー・ハーンそしてサミュエル・バーバー

2010年2月14日日曜日

前回に続いて、最近YouTubeで見つけた動画について書きたいと思います.
今回は、サミュエル・バーバーのヴァイオリン協奏曲の第3楽章をヒラリー・ハーンが演奏したものです.

バーバーは20世紀のアメリカの作曲家ですが、弦楽四重奏曲第1番の第2楽章のアダージョが独立して『バーバーのアダージョ』として弦楽合奏で演奏され、一番有名で、テレビなどでも使われることが多いので、皆さんもどこかで耳にしているはずです.
この動画は曲に合わせて楽譜が表示されます.バーバーの楽譜は著作権が保持されているため、IMSLPにも楽譜はアップされておらず、貴重です.
とにかく一度御聞きいただければと思いますが、種明かしをしてしまうと、曲の95%まではずっと3連苻のリズムが続きます.つまり音符の基本単位は4分音符の1/3、すなわち全音符の1/12と言うことです.それが最後の最後の終結部で16分音符(全音符の1/16)のリズムに突然変わり、終曲まで疾走します.聞いて頂けるとお判りになると思いますが、初めからヴァイオリンがずっと走り続けているのですが、最後の最後で突然ギアチェンジして猛スピードでゴールに飛び込む、その疾走感が聞き物です.ヒラリー・ハーンは若手の女流ヴァイオリニストですが、ヴァイオリンを演奏する技術はこれまでも抜群だと思っていましたが、この曲の演奏は予想を遥かに上回り、初めて聞いた時は、本当に度肝を抜かれました.おそらく、クラシック音楽を聴いたことのない方でも、ある意味スポーツ的な快感、爽快感を感じられるのではないかと思います.
是非ご一聴下さい.

フィリップ・ヒルシュホルンそしてギヨーム・ルクー

2009年12月14日月曜日

久しぶりの更新となりました.
久々の何も用事のない日曜日、YouTubeでヴァイオリンの曲をザッピングしていると、Philippe Hirshhorn(1967)というタイトルに目が止まりました。(現在、YouTubeではこの動画が見ることができませんので、Dailymotionのものをご覧ください。

これまで聞いたことのないヴァイオリニストでもあり、一応は眼を通しておこうと思って見てみると、これがとても素晴らしいヴァイオリニストで驚きました.こんな素晴らしいヴァイオリニストがなぜ有名でないのだろうかということ不思議に思いましたのでネットを検索をしてみてもあまり情報がありません.ごくわずかな情報では、彼は1946年ラトヴィアに生まれ、1967年のエリザベート王妃国際コンクールで第1位となり、その時にクレーメルが3位であったということ、そして1996年に50歳で亡くなったということしかわかりません.ビデオを見ると、私が審査員であったとしてもクレーメルよりも絶対に上位にすると思える素晴らしいバガニーニの協奏曲の演奏でした.(私は本当のことを言うとクレーメルのヴァイオリンはあまりヴァイオリンとしての美感がなく、好きではないので、この時の審査結果にさもあらんと妙に納得しました.)チェリストのミーシャ・マイスキーのヒルシュホルンに対するコメントでは、彼の到達点があまり高すぎてしまい、自分自身その高みを維持することの困難の故にだめになってしまったというようなことを語っていました.ヴァイオリニストが才能を順調に伸ばし、大成し、そのレベルを維持してゆくことがとても困難であることはこれまでもマイケル・レービン、ヨーゼフ・ハシッド、ボリス・ゴールドシュテイン、クリスチャン・フェラスなど数々の例がありますが、フィリップ・ヒルシュホルンもまたその中の一人であったわけです.
ヒルシュホルンの演奏を順に聞いていくと、どれも素晴らしい演奏なのですが、特にルクーのソナタが素晴らしく、おすすめの一曲です.

Philippe Hirshhorn playing Lekeu Sonata II Mov Part.1
Philippe Hirshhorn playing Lekeu Sonata II Mov Part.2

楽譜はこちらです.

 http://imslp.info/files/imglnks/usimg/c/c7/IMSLP21373-PMLP49310-Lekeu_Violin_Sonata_Piano_score.pdf

あまり知られていない作曲家ですのでルクーについても一言触れておこうと思います.
ギヨーム・ルクーは1870年ベルギーに生まれ、フランク、その後ダンディの弟子となり、100曲あまりを残しましたが、惜しくも24歳の若さで腸チフスのため世を去りました.ルクーの曲は聴いてすぐにわかる美しい旋律からフランス系の作曲家とわかりますが、ほの暗いロマンがフランスよりもやや北方のベルギーということになるのでしょうか.いずれの曲も私の好みにぴったりです.ヴァイオリンソナタは同じベルギー出身のイザイの委嘱で作曲されておりますが、同じくイザイから委嘱された弦楽四重奏曲が未完に終わったのはかえすがえすも残念なことです.どんなにか素晴らしい曲になったことかと思います.
ヒルシュホルンによるルクーのヴァイオリンソナタは2人の悲劇を映し出すかのように美しく、甘くそしてちょっぴり?暗く響きます.冬の夜長に是非ご一聴を.

Only The Lonely

2009年11月1日日曜日

中学生の頃だったでしょうか、私のいとこからFrank Sinatraのアルバムを教えてもらいました.シナトラは声に何とも言えぬ男の年輪を感じさせ、選曲も全て名曲ぞろい、その上、Nelson Riddleの編曲がとても叙情的でその上に非常に凝っていて、一回でお気に入りとなりました.このアルバムは1958年に制作され、SinatraのCapitol Record時代の代表作、あるいは生涯を通しての代表作と言っても良いと思います.
最近、ちょっとした時間がある時にYouTubeを見て普段なかなか目にすることのできない映像を見て楽しんでいます.YouTubeの一番優れているところは、関連動画がすぐ下にリストアップされるので、同じ曲をいろいろな演奏者ですぐに聞き比べができるところだと思います.
先日、このアルバムの中でも特に好みの一曲One For My BabyをYouTubeで聞いていました。

Frank Sinatra

すると、関連動画の中にFred Astaireのオリジナルのバージョンが見つかりました.

これは、1943年の映画 The Sky’s the Limit(邦題 青空に踊る)の中の10分ほどの一場面ですが、このオリジナルバージョンはSinatraのものと比べるともっと明るく、軽く、粋で、この曲をSinatraあるいはRiddleがああいう風にしたのかと思うと編曲の力を知ることができると思います.
このAstaireの動画は歌も良いのですが、なんと言っても踊りのシーンが必見もので、Astaireの踊りというととても洒落ていてスマートで優雅な面を思い浮かべますが、彼の踊りの豪快な一面も伺い知ることのできる場面だと思います.お暇な時に一度ご覧になって下さい.

本当に健康を守るのはどのような食事か

2009年9月16日水曜日

 今日は、城北公民館で健康と食事の講演を行いました.鳩山氏が首相指名を受けるその時間でしたが、多くの皆様に足を運んで頂き、本当に有り難うございました.
 質問では食事と高血圧のことがありました.本日の講演ではその点については触れませんでしたが、また、機会を改めてお話ししたいと考えております.
 下のファイル名をクリックして頂くと、スライドショーが別ウインドウに表示されます.サイズが大きいため時間がかかりますが、じっと我慢して下さい.

不整脈

2009年9月11日金曜日

 昨日、道の駅「どまんなかたぬま」におきまして、不整脈の講演を行いました.100名を超える大勢の方にご来場いただき、熱心に話を聞いて頂き、本当に有り難うございました.
CAST研究の話など一般の方々にお話しするのはどうかとも思いましたが、ある程度ご理解いただけたのではないかと思います.
 来週も、16日(水)、午後2時から4時まで、城北地区公民館で「健康と食事の話」という題で講演を行います.是非皆様のおいでをお待ちしております.
 下のファイル名をクリックして頂くと、スライドショーが再生されます.サイズが大きいため時間がかかりますが、じっと我慢して下さい.

荒野の決闘 1946年 ジョン・フォード監督

2009年7月11日土曜日

 怠けている間にブログの更新が随分間が空いてしまいました.
 先日、何を見るということはなくテレビをつけると、白黒の映画が目に留まりました.なんとヘンリー・フォンダではないですか.ビクター・マチュアが出てきて、なるほど、ワイアット・アープとドック・ホリデイか、OK牧場の決闘ねという訳です.
 ヘンリー・フォンダはただ立っていても、また片足で柱を押しながら椅子に座っている、ただそれだけでも姿が美しいですね.もともと私はこの人の歩く姿がとても格好がいいなと思っていました.この映画の中ではドック・ホリデイを追いかけて東部からやって来た女性、クレメンタインをエスコートして踊りの会場に歩いてゆくシーンの歩き方がやはり素晴らしいです.ワイアットアープの誠実で朴訥とした人柄にぴったりです.ヘンリー・フォンダのその他の映画での歩き方、例えば「怒りのぶどう」のトム・ジョードの一途な歩き方とも「12人の怒れる男」の陪審員8番の都会的で知的な歩き方とも全く違う歩き方で、名優は歩きひとつとってもその中で役柄を演じているということにびっくりします.続くダンスのシーンでも踊りの中でリズムに合わせて膝をひょいと高く上げるところが実にユーモラスで、愛すべき人柄が出ていたと思います.
 この後、殺された弟の犯人がクラントン一家であることが判り、OK牧場での決闘となります.このシーンも本来であればこうであろうという時間経過そのままに打ち合いが行われ、クラントン一家が死に、またドック・ホリデイがあっけなく死んでいきます.現在の映画であれば緊張を高めるためのバックグラウンドの効果音、音楽などが入るのでしょうが、この映画では実際の足音、銃声以外には一つもバックグラウンドの音楽、効果音などがなく、また、時間の引き延ばしがないため、緊迫感、スピード感、映画の密度は尋常ではありません.私はひっぱられるのが大嫌いです.映画「ダイハード2」で離陸のために滑走している飛行機の翼の上で10分も15分も主人公とテロリストが格闘しているのを見て、この滑走路は50kmくらいあるのかなと一人でしらけていたのですが、全くその反対といえます.
 決闘が終わり、最後にワイアットアープはクレメンタインに「私はクレメンタインという名前が好きです.」といって一人去っていくところに初めてバックグラウンドに「愛しのクレメンタイン」の音楽が重なってきて、エンドクレジット.
 久しぶりに西部劇を堪能しました.

おもしろ俳句

2009年5月19日火曜日

 先日、NHKで金子兜太が宗匠、いとうせいこうが司会で「日本ナンダコリャこれくしょん 今度は俳句だ!」という番組がありました.この番組に興味を覚えた方は多いようで、ネットにもいろいろな感想が見つかりますが.私も大変楽しく拝見しました.登場した句は大変面白いものばかりですので今後の記憶にとどめるため以下に記しました.一句一句が突飛ですが、よくよく読むとなかなか深い意味が隠されており、皆さんもきっと楽しめると思います.

 出演者
いとうせいこう, 金子 兜太, 假屋崎省吾, 高橋源一郎, 冨士眞奈美, 吉行 和子, 明川 哲也, 大宮エリー, なぎら健壱, 南海キャンディーズ, 箭内 道彦

一巡目
福助のお辞儀は永遠に雪が降る     鳥居真理子
唇は黒いマスクの下に惜しげもなくなくふる雪で必死の暮しも阻む冬はなほ更に思う 橋本夢道
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
足のうら洗へば白くなる  尾崎放哉
青蛙おのれもペンキぬりたてか  芥川龍之介
露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す  西東三鬼
性格が八百屋お七でシクラメン  京極杞陽
粉屋が哭く山を駆けおりてきた俺に  金子兜太
法医學・櫻・暗黒・父・自瀆   寺山修司
夜のダ・カポ ダ・カポのダ・カポ 噴火のダ・カポ   高柳 重信

二巡目
とととととととととと脈アマリリス   中岡敏雄
ワタナベのジュースの素です雲の峰   三宅やよい
噴水や戦後の男指やさし  寺田京子
戦争が廊下の奥に立ってゐた  渡辺白泉
春は曙そろそろ帰ってくれないか  櫂美千子
まっすぐな道でさみしい  種田山頭火
鞦韆〔ブランコ〕は漕ぐべし愛は奪ふべし  三橋鷹女
栃木にいろいろ雨のたましいもいたり   阿部完市
魔がさして糸瓜となりぬどうもどうも  正木ゆう子
夏みかん酸っぱしいまさら純潔など  鈴木しづ子

 如何でしょうか?皆さんの気に入った句があったでしょうか?
 ちなみに、今日は私の叔母の1周忌に当たります.叔母は埼玉の生まれで、俳人の金子兜太の姪になります.最近、テレビの俳句の番組で金子兜太の姿を見ることがますます多くなっています.金子兜太は90歳になっても、あるいは90歳だからこそ周囲に何の遠慮もなく、思うままに語れるのでしょうか?自分も早くそのような境地になりたいものだと思います.

Peter Catのこと

2009年2月24日火曜日

 私がちょうど研修医の頃だったでしょうか、ある日、友人のO君と信濃町の大学病院にほど近い千駄ヶ谷駅前のPeter Catという喫茶店に行ったことがあります.フロアには私たちだけだったでしょうか、ふとカウンターを見ると、カウンターの中に誰がいたと思いますか?その当時、『風の歌を聴け』、『1973年のピンボールゲーム』で颯爽と文壇にデビューし、私のアイドルであった村上春樹氏その人でした.実はこの店のマスターだったのですね.私はサインを貰いたかったのですが、なかなか切り出せず、それを見かねたO君が代りにサインをねだってくれたところ、快く、店のコースターにサインをしてくれました.そのコースターは今でも大切にとってあります.
 その後、氏は次第にメジャーになっていき、それとともに次第に私の心の中から離れていきました.
 先日、氏がエルサレム賞を受賞したというニュースを聞いた時も、やっぱり村上春樹はメジャーですねという程度の感想でした.その後、氏がイスラエルに赴き、受賞式での記念講演の内容をインターネットで読むことができました.
 その内容は皆さんも既にお読みのことと思いますが、一口に言えば、世の中には高くて固い壁とそれにぶつかって壊れる卵がある、その時、自分は常に卵の味方である、またそちら側に立って小説を書くということを述べています.


壁   爆弾、戦車、ロケット弾(イスラエル)     システム
卵   非武装の市民(パレスチナ)          個人


という図式になります.
 官僚システム、経済システム、民主政治のシステムなどいろいろなシステムが当初の目的とは違った方向に一人歩きをし、かえって個人を不幸にするような方向に向かってしまう現実を思い合わせ、氏の発言におおいに共感を覚え、かつて氏がデビューした頃の小説に感じた共感を思い起こしました.
 システムは巨大になると自律性を持ち、勝手に一人歩きをし、システム内部の個人にも、外部の個人にもそれを止めることができなくなるようです.それを止めるための非常停止装置のような機能がシステムには必須のようです.巨大なシステムが大きな慣性で動き続けるのを止めるためには、システムに組み込まれている従来の危険回避の仕組み、いわばブレーキでは貧弱すぎるというのが現実なのではないでしょうか.もっと、強い、ある意味システムを破壊できるくらいに強い仕組みが必要なのかもしれません.

以下にそのスピーチの書き起こしを引用します。https://www.kakiokosi.com/share/culture/89

村上春樹氏の講演の内容をまだお読みになっていない方は、是非、ご一読を.

私は今日、作家として、言わばプロの嘘の紡ぎ手として、イスラエルまでやってきました。

もちろん、作家以外にも嘘をつく人種はいます。皆さんご存知のように政治家も嘘をつきます。外交官や軍人も、場合によっては外交官の嘘、軍人の嘘をつきますし、中古車のセールスマンや肉屋や大工だって同じです。しかし、作家の嘘には他の人々の嘘とは違う点があります。作家は嘘をついたからといって不謹慎であると批判されることはありません。むしろ、嘘が大きくて巧みであればあるほど、そしてそれが独創的であるほど、人々や批評家から賞賛されるのです。何故でしょうか?

私の答えはこのようなものです。すなわち、巧みな嘘をつくこと、言い換えれば真実味のあるフィクションを構築することによって、作家は真実を別の場所に晒し、新しい光を当てることができるのです。ほとんどの場合、真実をそのままの形で把握し、正確に描写することは不可能です。だから、真実が潜んでいるところからおびき出して、フィクションの次元に移し、フィクションの形を与えることで、その尻尾を掴もうとするわけです。しかし、これを成し遂げるためには、まず、我々自身の中の真実がどこにあるのかをはっきりさせておかなければなりません。これは巧みな嘘を作り上げる上で重要な条件です。

しかし、本日、私は嘘を言うつもりはありません。できるだけ正直になろうと思います。私が嘘紡ぎにいそしまない日は年に数日しかないのですが、今日はたまたまその一日だったということです。

というわけで、率直に言います。たいそうな数の人々からエルサレム賞を受け取るためにここに来るべきではないと忠告されました。中には、私がここに来たら私の本の不買運動を展開するとまで警告した人々もいました。

理由はもちろん、ガザで起こっている激しい戦闘です。国連のレポートのよれば、1000人以上の人が封鎖されたガザ市で命を落としています。その多くは非武装の市民-老人や子供たちです。

賞についての話が出るたびに、私は自問しました。このような時期にイスラエルを訪れ、文学賞を受賞することは適切なのだろうか?これが、紛争の一方の側に味方する印象を造らないだろうか?圧倒的な武力を解き放つ選択をするという政策を支持することにならないだろうか?もちろん、このような印象与えたいとは思いません。私はいかなる戦争も反対ですし、いかなる国も支持しません。また、同じように自分の著作がボイコットされるのも本意ではありません。

しかし、じっくり考えた末に、結局は来ることにしたのです。こう決心した理由の一つは、あまりにも多くの人に来るなといわれたことでした。恐らく、多くの作家がそうだと思いますが、私は他人に言われたことと反対のことをする傾向があるのです。もし人々に「行くな」とか「するな」と言われたら-特に、脅されたら-私は行きたくなるししたくなる。これは、私の、言うなれば、作家としての習性なのです。作家とは特異な人種です。作家は自身の目で見、自身の手で触れたもの以外を完全に信用することができません。

だから私はここにいるのです。留まることよりもここに来ることを選びました。見ないことよりも自身の目で見ることを選びました。口を塞ぐことよりも、ここで話すことを選びました。

それは、私がここに政治的なメッセージを運んできたということではありません。物事の善悪を判断することは作家の最も重要な仕事であることはもちろんです。

しかし、そうした判断を他人にどのような形で伝達するかという決定は個々の作家にゆだねられています。私自身はそれを物語の形にーそれも、シュールな物語に変換するのを好みます。だから本日、皆さんの前に立っても政治的なメッセージを直接伝えようとは思わないのです。

が、ここで、一つ非常に個人的なメッセージを述べさせて下さい。それは、私がフィクションを書くときに常に心がけていることです。(座右の銘として)紙に書いて壁に貼っておくという程度ではなく、私の魂の壁に刻み付けてあるものなのです。それは、こういうことです。

もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。
そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかなる理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょうか。

このメタファーの意味は何か?時には非常にシンプルで明瞭です。爆撃機や戦車やロケット、白リン弾が高くて硬い壁です。それらに蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装の市民が卵です。これがこのメタファーの一つの意味です。

しかし、それが全てではありません。もっと深い意味を含んでいます。こう考えてみてください。多かれ少なかれ、我々はみな卵なのです。唯一無二でかけがいのない魂を壊れやすい殻の中に宿した卵なのです。それが私の本質であり、皆さんの本質なのです。そして、大なり小なり、我々はみな、誰もが高くて硬い壁に立ち向かっています。その高い壁の名は、システムです。本来なら我々を守るはずのシステムは、時に生命を得て、我々の命を奪い、我々に他人の命を奪わせるのです-冷たく、効率的に、システマティックに。

私が小説を書く理由は一つしかありません。それは、個々の魂の尊厳を浮き彫りにし、光を当てるためなのです。物語の目的は警鐘を鳴らすことです。システムが我々の魂をそのくもの糸の中に絡めとり、貶めるのを防ぐために、システムに常に目を光らせているように。私は、物語を通じて人々の魂がかけがえのないものであることを示し続けることが作家の義務であることを信じて疑いません-生と死の物語、愛の物語、人々が涙し、恐怖に震え、腹を抱えて笑う物語を通じて。これこそが、我々が日々、大真面目にフィクションをでっち上げている理由なのです。

私の父は昨年90歳で亡くなりました。彼は引退した教師で、パートのお坊さんでした。大学院生の頃、父は陸軍に徴兵され中国の戦場に赴任しました。私は戦後に生まれた子供でしたが、父が毎朝朝食の前に、家の仏壇に向かって長い真摯な祈りを捧げる姿を見てきました。一度、父にその理由を尋ねたことがありました。父は、戦争で亡くなった人のために祈っているのだ、と答えました。 

亡くなった全ての人のために祈るのだ、と父は言いました。敵も味方も、全て。仏壇に向かって膝まづく父の背中を見ながら、父の周囲に死の影が漂っているような気がしたものです。

父は亡くなり、父と共に父の記憶も逝ってしまいました。父が記憶していたことを知るすべはありません。しかし、父の周囲に潜んでいた死の存在感は私の記憶の中に残っています。これは、父から受け継いだ数少ないものの一つで、最も重要なものの一つです。

私が皆さんにお伝えしたいことは一つだけです。我々は国や人種や宗教を超えて、同じ人間なのだということ、システムという名の硬い壁に立ち向かう壊れやすい卵だということです。見たところ、壁と戦っても勝ち目はありません。壁はあまりに高く、あまりに暗くて-あまりに冷たいのです。少しでも勝機があるとしたら、それは自分と他人の魂が究極的に唯一無二でかけがえのないものであると信じること、そして、魂を一つにしたときに得られる温もりだけです。

考えてみてください。我々のうちにははっきりとした、生きている魂があります。システムは魂を持っていません。システムに我々を搾取させてはいけません。システムに生命を任せてはいけません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。

以上です。エルサレム賞の受賞に感謝します。私の本が世界の色々な場所で読んでいただけることに感謝します。今日、ここで皆さんにお話できる機会をいただき嬉しく思います。

私は今日、作家として、言わばプロの嘘の紡ぎ手として、イスラエルまでやってきました。

もちろん、作家以外にも嘘をつく人種はいます。皆さんご存知のように政治家も嘘をつきます。外交官や軍人も、場合によっては外交官の嘘、軍人の嘘をつきますし、中古車のセールスマンや肉屋や大工だって同じです。しかし、作家の嘘には他の人々の嘘とは違う点があります。作家は嘘をついたからといって不謹慎であると批判されることはありません。むしろ、嘘が大きくて巧みであればあるほど、そしてそれが独創的であるほど、人々や批評家から賞賛されるのです。何故でしょうか?

私の答えはこのようなものです。すなわち、巧みな嘘をつくこと、言い換えれば真実味のあるフィクションを構築することによって、作家は真実を別の場所に晒し、新しい光を当てることができるのです。ほとんどの場合、真実をそのままの形で把握し、正確に描写することは不可能です。だから、真実が潜んでいるところからおびき出して、フィクションの次元に移し、フィクションの形を与えることで、その尻尾を掴もうとするわけです。しかし、これを成し遂げるためには、まず、我々自身の中の真実がどこにあるのかをはっきりさせておかなければなりません。これは巧みな嘘を作り上げる上で重要な条件です。

しかし、本日、私は嘘を言うつもりはありません。できるだけ正直になろうと思います。私が嘘紡ぎにいそしまない日は年に数日しかないのですが、今日はたまたまその一日だったということです。

というわけで、率直に言います。たいそうな数の人々からエルサレム賞を受け取るためにここに来るべきではないと忠告されました。中には、私がここに来たら私の本の不買運動を展開するとまで警告した人々もいました。

理由はもちろん、ガザで起こっている激しい戦闘です。国連のレポートのよれば、1000人以上の人が封鎖されたガザ市で命を落としています。その多くは非武装の市民-老人や子供たちです。

賞についての話が出るたびに、私は自問しました。このような時期にイスラエルを訪れ、文学賞を受賞することは適切なのだろうか?これが、紛争の一方の側に味方する印象を造らないだろうか?圧倒的な武力を解き放つ選択をするという政策を支持することにならないだろうか?もちろん、このような印象与えたいとは思いません。私はいかなる戦争も反対ですし、いかなる国も支持しません。また、同じように自分の著作がボイコットされるのも本意ではありません。

しかし、じっくり考えた末に、結局は来ることにしたのです。こう決心した理由の一つは、あまりにも多くの人に来るなといわれたことでした。恐らく、多くの作家がそうだと思いますが、私は他人に言われたことと反対のことをする傾向があるのです。もし人々に「行くな」とか「するな」と言われたら-特に、脅されたら-私は行きたくなるししたくなる。これは、私の、言うなれば、作家としての習性なのです。作家とは特異な人種です。作家は自身の目で見、自身の手で触れたもの以外を完全に信用することができません。

だから私はここにいるのです。留まることよりもここに来ることを選びました。見ないことよりも自身の目で見ることを選びました。口を塞ぐことよりも、ここで話すことを選びました。

それは、私がここに政治的なメッセージを運んできたということではありません。物事の善悪を判断することは作家の最も重要な仕事であることはもちろんです。

しかし、そうした判断を他人にどのような形で伝達するかという決定は個々の作家にゆだねられています。私自身はそれを物語の形にーそれも、シュールな物語に変換するのを好みます。だから本日、皆さんの前に立っても政治的なメッセージを直接伝えようとは思わないのです。

が、ここで、一つ非常に個人的なメッセージを述べさせて下さい。それは、私がフィクションを書くときに常に心がけていることです。(座右の銘として)紙に書いて壁に貼っておくという程度ではなく、私の魂の壁に刻み付けてあるものなのです。それは、こういうことです。

もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。
そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかなる理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょうか。

このメタファーの意味は何か?時には非常にシンプルで明瞭です。爆撃機や戦車やロケット、白リン弾が高くて硬い壁です。それらに蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装の市民が卵です。これがこのメタファーの一つの意味です。

しかし、それが全てではありません。もっと深い意味を含んでいます。こう考えてみてください。多かれ少なかれ、我々はみな卵なのです。唯一無二でかけがいのない魂を壊れやすい殻の中に宿した卵なのです。それが私の本質であり、皆さんの本質なのです。そして、大なり小なり、我々はみな、誰もが高くて硬い壁に立ち向かっています。その高い壁の名は、システムです。本来なら我々を守るはずのシステムは、時に生命を得て、我々の命を奪い、我々に他人の命を奪わせるのです-冷たく、効率的に、システマティックに。

私が小説を書く理由は一つしかありません。それは、個々の魂の尊厳を浮き彫りにし、光を当てるためなのです。物語の目的は警鐘を鳴らすことです。システムが我々の魂をそのくもの糸の中に絡めとり、貶めるのを防ぐために、システムに常に目を光らせているように。私は、物語を通じて人々の魂がかけがえのないものであることを示し続けることが作家の義務であることを信じて疑いません-生と死の物語、愛の物語、人々が涙し、恐怖に震え、腹を抱えて笑う物語を通じて。これこそが、我々が日々、大真面目にフィクションをでっち上げている理由なのです。

私の父は昨年90歳で亡くなりました。彼は引退した教師で、パートのお坊さんでした。大学院生の頃、父は陸軍に徴兵され中国の戦場に赴任しました。私は戦後に生まれた子供でしたが、父が毎朝朝食の前に、家の仏壇に向かって長い真摯な祈りを捧げる姿を見てきました。一度、父にその理由を尋ねたことがありました。父は、戦争で亡くなった人のために祈っているのだ、と答えました。 

亡くなった全ての人のために祈るのだ、と父は言いました。敵も味方も、全て。仏壇に向かって膝まづく父の背中を見ながら、父の周囲に死の影が漂っているような気がしたものです。

父は亡くなり、父と共に父の記憶も逝ってしまいました。父が記憶していたことを知るすべはありません。しかし、父の周囲に潜んでいた死の存在感は私の記憶の中に残っています。これは、父から受け継いだ数少ないものの一つで、最も重要なものの一つです。

私が皆さんにお伝えしたいことは一つだけです。我々は国や人種や宗教を超えて、同じ人間なのだということ、システムという名の硬い壁に立ち向かう壊れやすい卵だということです。見たところ、壁と戦っても勝ち目はありません。壁はあまりに高く、あまりに暗くて-あまりに冷たいのです。少しでも勝機があるとしたら、それは自分と他人の魂が究極的に唯一無二でかけがえのないものであると信じること、そして、魂を一つにしたときに得られる温もりだけです。

考えてみてください。我々のうちにははっきりとした、生きている魂があります。システムは魂を持っていません。システムに我々を搾取させてはいけません。システムに生命を任せてはいけません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。

以上です。エルサレム賞の受賞に感謝します。私の本が世界の色々な場所で読んでいただけることに感謝します。今日、ここで皆さんにお話できる機会をいただき嬉しく思います。