「本当のこと」を伝えない日本の新聞

2012年10月28日日曜日

マーティン ファクラー著 「本当のこと」を伝えない日本の新聞 双葉新書 ISBN978-4-575-15394-1 C0295

 著者はニューヨークタイムズ東京支局長で、12年間日本で取材を続けています.その中で、情報を独占し、世代間格差や社会システム、官僚制度の硬直化など日本が本当に解決すべき問題を積極的には扱おうとしない記者クラブという組織に疑問を持ったことからこの本が書かれました.

 主な内容は以下のようです.

 第一章 青い目の3.11取材記

 3.11の取材での体験から、被災地でも「仮設記者クラブ」を作り、役場の職員に対し行方不明者の数を一桁の違いにこだわって質問を繰り返す一方、彼らがどのように津波から生き延びたのかを聞かない記者たちのこと、南相馬市から日本人記者たちが逃げ出してしまい,インターネットのYouTubeでSOSを発信しなければならなかった桜井市長の話など興味深い内容です.

 第二章 情報寡占組織 記者クラブ

 「記者クラブ」とは記者の集合体およびその詰め所のことですが、この詰め所には記者クラブ加盟社の記者以外は原則的に立ち入ることは出来ず、当局から配られるプレスリリースなどを独占します.記者クラブ主催の会見には、幹事社の許可が下りない限り外部記者が参加することは出来ません.そのような体制の中で大震災時の報道は東京電力、原子力安全保安院、官邸の発表の内容のそれ以上でもそれ以下でもないというような各社横並びの報道になりました.そして、触れると大企業、行政、政府に対してまずいであろうと思われるような情報は自ら掘り起こしたりすることはせず、会社が認めたり、裁判所が判決を出したりなにかしらの「お墨付き」が出た瞬間に新聞に記事を書く「発表ジャーナリズム」の問題.前回の政権交代が起きる総選挙の直前に西松建設事件で二大政党の一方の代表を逮捕も起訴されていない状況で徹底的に叩くという不自然な姿勢.オリンパス事件で当初は旧経営陣の言うままのことを掲載し、旧経営陣が辞任すると、旧経営陣を批判するなどの実例をもって日本の新聞の姿勢を批判しています.

 第三章 かくもおかしい新聞

 企業経営者や政治家とべったりつきあう記者の姿、オフレコ破りの問題、匿名のコメントの率が非常に高い問題、「客観報道」神話の問題、権力に近寄りすぎた報道「アクセス・ジャーナリズム」の問題、道警裏金問題をめぐる北海道新聞の迷走などが述べられています.

 第四章 ジャーナリストがいない国

 サラリーマンとしてのジャーナリスト、正社員にしか記事を書かせないこと、フリーランスの記者が在野意識をもって良い仕事をしているのに,夕刊紙や週刊誌にしか記事を書けない一方、新聞では当局とエリート意識を共有している記者が仕事をし二分化している状況を述べ、日本のマスコミは中国より閉鎖的と断定しています.

 第五章 日本の新聞 生き残りの道

 ブログ、ツイッター、Facebook、YouTubeなどのソーシャルメディアの活用に非常消極的な日本の新聞、独自路線を貫く地方誌の可能性など、横並びではなくオンリーワンのメディアとしての生き残りが必要と述べ,まもなく「記者クラブ」型メディアの時代が終わると予言しています.

 以上のような内容でしたが,この本で一番印象に残ったのは著者が日本の若い記者と話して現状に不満を持っている人がたくさんいて,彼らは問題の本質を見抜いていること、そして、その他のメディアが成長する中で記者クラブを通じて報道されるニュースの価値は低下し、記者クラブの存在自体に国民が不信感を抱いているということを理解し、正常な感覚を持っていると感じたと述べていることです.そこに私は日本のメディアの未来の希望を見ました.

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